2018年6月18日月曜日

第12章 自己 (元データと判定・解釈・考察と書き換え)

第12章 自己
 この章は、第3章 心とセットで存在します。自己は魂、自分は心であるという解釈のもとで、詩を読んでいきます。詩の順序は、内容を分類分けして、160, 157, 161, 162, 158, 159, 164, 163, 165, 166と並べます。第3章 心の前書きを参考にしてください。

詩番号 160,157
***(元データ)*************
160)自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。

157)もしもひとが自己を愛しいものと知るならば、自己をよく守れ。賢い人は、夜の三つの区分のうちの一つだけでも、つつしんで目ざめておれ。
***(判定)*************
160)D
157)D
***(コメント)*************
160)
 第25章 修行僧 詩 380で、自己=魂、自分=心と定義しました。
 魂とは、体から潜在意識から顕在意識全てですから、全てをバランス良く鍛錬することが、魂の成長にとって大切だと考えられます。また、鍛錬の仕方ですが、それは学問や技術を学ぶ事、身体を鍛える事、そして、常に自分が世の中のための善を追求する立場で行動しているのか?を考える事等なのでしょう。最終的には、きっと、瞑想・禅定の力を借りなくてはならなくなります。
157)
 後の161の詩が、これに関連する詩です。
 魂を守るというのは、心(や脳)経由で、魂を退化させる悪い情報を植込まない事、身体に悪い物質を取り込まない事などがあります。反対に、魂を進化させる情報を取り込む事も大切です。そういう点では、情報、そして、食事は大切だという事です。
 また、賢い人のカテゴリーになると、常に慎んで目覚めているように努力しなくてはなりませんから、三つの区分のどこかだけでOKって事はありません。
 ちなみに、第一の時期は少年期、第二の時期は壮年期、第三の時期は、老年期だそうです。第一の時期、第二の時期の行いで、第三の時期が決定されるに決まっています。妻子を養うために悪い事とわかって、それに加担する事は、良くない事で、回避する方法を模索するべきです。
 この三つの区分については、中村氏の注釈によって、ブッダゴーサの意思が強く働いている事がわかります。
***(書換え詩)*************
160)魂(自己)こそ心(自分)の主である。他人がどうして心(自分)の主であろうか? 魂(自己)をよく整えたならば、得難き主を得る。

157)もしもひとが魂(自己)を愛しいものと知るならば、魂(自己)をよく守れ。賢い人は、怠らずに励み、常につつしんで目ざめているようにせよ。


詩番号 161,162
***(元データ)*************
161)自分がつくり、自分から生じ、自分から起った悪が知慧悪しき人を打ちくだく。──金剛石が宝石を打ちくだくように。

162)極めて性の悪い人は、仇敵がかれの不幸を望むとおりのことを、自分に対してなす。──蔓草(ツルクサ)が沙羅の木にまといつくように。
***(判定)*************
161)D
162)D
***(コメント)*************
161)自分を心と置き換えます。その人本体、全てが、魂の体現ですから、「人を打ち砕く」とは、「魂を打ち砕く」ことなのです。
162)「極めて性の悪い人」は「愚かな人」、「自分に対してなす」は「魂(自己)に対してなす」として、文章を整えます。
***(書換え詩)*************
161)心が作り、心から生じ、心から起った悪が知慧悪しき人(魂)を打ちくだく。─金剛石が宝石を打ちくだくように。

162)愚かな人は、仇敵がかれの不幸を望むとおりのことを、魂(自己)に対してなす。─蔓草(ツルクサ)が沙羅の木にまといつくように。


詩番号 158,159
***(元データ)*************
158)先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことが無いであろう。

159)他人に教えるとおりに、自分でも行なえ──。自分をよくととのえた人こそ、他人をととのええるであろう。自己は実に制し難い。
***(判定)*************
158)D
159)D
***(コメント)*************
「先ず自分を正しくととのえ」ではなく、「先ず自己を正しく整え」です。
***(書換え詩)*************
158)先ず自己を正しく整え、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことが無いであろう。

159)他人に教えるとおりに、自分でも行なえ──。自己をよく整えた人こそ、他人を整えるであろう。自己は実に制し難い。


詩番号 164
***(元データ)*************
164)愚かにも、悪い見解にもとづいて、真理に従って生きる真人・聖者たちの教えを罵るならば、その人は悪い報いが熟する。──カッタカという草は果実が熟すると自分自身が滅びてしまうように。
***(判定)*************
B
***(コメント)*************
「真人・聖者」ではなく、「ブッダ・真人」としましょう。
***(書換え詩)*************
164) 愚かにも、悪い見解にもとづいて、真理に従って生きるブッダ・真人たちの教えを罵るならば、その人は悪い報いが熟する。──カッタカという草は果実が熟すると自分自身が滅びてしまうように。


詩番号 163,165、166
***(元データ)*************
163)善からぬこと、己れのためにならぬことは、なし易い。ためになること、善いことは、実に極めてなし難い。

165)みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることができない。

166)たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。
***(判定)*************
163)A
165)A
166)D
***(コメント)*************
 詩163)の己を自己と、詩166)の自分を自己と書き換えます。それ以外は文章を整えます。
***(書換え詩)*************
163)善からぬこと、自己のためにならぬことは、なし易い。ためになること、善いことは、実に極めてなし難い。

165)自ら悪をなすならば、自ら汚れ、自ら悪をなさないならば、自ら浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることができない。

166)たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自己のつとめをすて去ってはならぬ。自己の目的を熟知して、自己のつとめに専念せよ。

(第12章 自己 終わり)