2020年10月22日木曜日

付録2「心を治める」と「自己(魂)を整える」についての考察 のリプレース

 ***** 前置き *****

再考真理のことば.pdf の 

“付録2「心を治める」と「自己()を整える」についての考察 

の差し替え原案です。題名も、

“付録2R「心が治まる」と「心を整える」についての考察  

に改定しました。

 ***** ***** ***** *****

付録2 R「心が治まる」と「心を整える」についての考察 

「心を治めるのは誰なのか?」、心が自治をするのでしょうか?まずは、これを考えます。ここでは、治められる心とは 顕在意識と潜在意識の複合体です(付録1参照)(*1) 。
「付録1 4-2 心 」において、心の構造を議論し、心の主体は四魂で、強い発言権を有するのが正副守護神様であると考えま した。このことから、心を治めるのは正守護神様か副守護神様であり、治められる対象の中心は四魂で、どちらの守護神様を統治者として選ぶかは四魂が決めるという形式ではないかと考えてみます(*2)。
 前回は、魂と記述したものが、今回では四魂なのですが、基本的に四魂は自治(=整える)をしていると考えています。この自治に必要な情報を与えてくれるのが、守護神様なのです。よって、正守護神様–本守護神様の流れを統治者として選んだ 四魂は、統治者から有益な情報が流れ込み、魂にも良いエネルギーが運ばれます。他方、副守護神様を統治者に選んだ際には、ことごとく悪意のある情報と四魂が有していたエネルギーが搾取されていきます。したがって、心を鎮めるとは、四魂が 正しい守護神様を選択し、心に鎮座していただく事だと考えます。ちなみに、四魂に近い次元に位置しているのが、副守護神様であり、こちらの声のほうが正守護神様の声より大きく聞こえると、日月神示では記されています。
 もし、不幸にも、副守護神様の情報をもとに心が動いて暴走した時には、その結果や外部の人の反応から、自分がまずかっ たという情報が脳(顕在意識)から送られてきます。この脳からの情報(外部情報)に関して、真理(天則,  正しい教え,  正しい学)やさらに DNA など身体に蓄積された情報に照らし合わせて、心で熟考(反省)します。この心で熟考(反省)がうまくいく ためには、自分は誤ったことをしたという立場に立ち、きちんと考えるという心構えで行うと、驚くほどたくさんの情報が 正守護神様から流れてきて、心が正しく治ってくるのです。心に滋養が行き渡るということは、この正しい情報とエネルギー が心に流れてくることだと思います。つまり四魂が正しい教えを護っていくようにすることが、心を護ることだと考えています。そして、正しい教えを護るために、副守護神様の情報を制していくことが必要です。このような行為が、心を制するだと 考えます。 
 また、正か副のどちらの守護神様の情報か 判断に困る場合は、解決策を保留すべきです。時間を置くことによって、副守護神様からの情報が減幅する効果があります。
 ここで、自己(セルフ)は正守護神様、ハイヤーセルフは本守護神様で、四魂が3次元的に現れる自分に最も近い部分という前提で、上記の話から「心を整える」とは、 
1. 主語は、“(四)魂 ” であると考える。
2. “ 整える ”が指すところは、 
  (1) 魂が心に正守護神様を鎮める。(“心をしずめる”と“正守護神様に鎮座して頂く”の掛け言葉)
  (2) 魂が正しい教えを護る。(“心をまもる”と“決まり事(真理)をまもる”の掛け言葉)
  (3) 魂が副守護神様からの命令を制する。 
としました。 
 
実は、心という場は、本,正守護神様が治めるという形で守られるのと同時に、四魂も整える(自治)という行為によって 心を守る働きをしていると考えられるのです。一方、副守護神様は心を守る体をして心を破壊する働きを有するのです。そして副守護神様を選んだ四魂は、心を守るために副守護神様の命に従いますが、自らが心を壊しているという自覚がないのが 特徴ではないかと思います。

 以上を鑑みるに、「守護神様は心を治める。」のですが、より、理想的なパターンでは「心が(正しく)治まる。」という表現が的確だと思う次第です。 

——————————————————————

(*1) 以前は、顕在意識と潜在意識を分けて、治められる部分の中心が顕在意識であると議論したのですが、付録1のリプレースに伴い改めました。 

(*2)前回は、「心を治める」のは魂 だとし、「心を治める」を「心を鎮め、護り、制する」と定義しました。しかし、付録1のリプレースで心の上位に位 置するのが魂であるという前提から、心を構成するのが魂たちと改めましたので、「心を治めるのは守護神様である。」と変更しました。 これに伴い、詩 F004 のコメントも、「心を治める」から「心を整える」についての定義に変更しています。(20/10/22時点では未発表) 

2020年10月1日木曜日

付録1 魂と脳と守護霊 最終版レプレイス

印刷用PDF https://tsukiyonoryu.up.seesaa.net/image/E4BB98E98CB2EFBC91E9AD82E381A8E884B3E381A8E5AE88E8ADB7E99C8AE383AAE38397E383ACE382A4E382B9.pdf

1 はじめに

2020/9/29

 これは、https://newbuddhawords.blogspot.com/2018/11/blog-post.html に載せた記事のリプレイス版であり、同時に本書の付録1のリプレイス版です。過去の内容が知りたい場合はこちらにアクセスしてください。しかし、過去の内容も今回は含んでいるので、あまり必要ではないと思います。

 本書では、心について大幅な変更をしました。前回の定義(1);心=顕在意識+潜在意識は、新定義 2 とし、もう一方の 魂の定義(1);魂(=自己)=心 (=自分)+ DNA 1 + DNA 2 は撤回し、一霊四魂を取り入れて、新定義(1)を構築しました。これに伴い、「再考 真理のことば」(http://tsukiyonoryu.seesaa.net/article/467312289.html)の“§FS 1 心”と“FS 2 自己”、および“付録2”も変更する予定です。今後、「再考 真理のことばリプレイス版」をPDFでアップする予定です。

 変更の概要は、魂は心を構成するものとし、前回の“ 魂は心より上に位置する ”という解釈を逆転させた定義になったことです。この変更により、脳機能を 多少 拡張しましたが、全体的に変更点は少なく、話がすっきりと流れて読みやすくなりました。

2019/2/19

 私がマシューさんに、「人間の魂と身体、また、守護霊と言われる方との関係をはっきりとさせてみてはどうですか?自分と自分の先祖のことについても、あなたは先祖と自分を切り離して考えているところがありますが、それは甚大な誤解なのですよ。」と言われて、2017年6月19日現在ですでに一年以上が経っていました。私自身も、自分と先祖、身体を持たないバックアップしている存在との関係には強い興味を持っていました。そこで、二つの命題

 人間の魂と心とは何か?

 人間の身体と心の繋がりはあるのか、否、あるのは確実ですが、どういう関係なのか?

を立てました。壮大な命題であると同時に、現在の人間の科学では、残念ながら、証明は不可能です。したがって、この記事も科学的バックアップは受けられないでしょう。でも、腑に落ちる説というものを、私の審神者を使った上で、情報を集め、考えをまとめてみたいと思った次第です。なせならば、今後生きていく私たちが有意義な人生を送るための情報になると確信したからです。さらに、重大な病気で苦しんでいる方々にとっても有益ではないかと考えたのです。

 でも、半年くらい思索を続けた2017年9月あたりに、「とても大変な課題に手を出してしまった。」と、かなり後悔した時期がありました。審神者を行い、ネットで色々調べても、誰も答えが出せないのを良い事に、似て非なるような説が飛び交う世界が広がっているではありませんか。悪魔の広めている情報を拾い集めながら正しいものを考えるという作業は、審神者を使う私にとっては、神経に与えるダメージがとても強いのです。「なかったことに。」なんて思ったこともありますが、マシューさんはきっとアメリカ上空でこのネットを見ていると思うと…。「まだ宿題、終わってないよ!」って、お声が聞こえる私でした。

 しかし、当時、並行して「真理のことば」の読み直しを始めました。その時に、達成するためには、変じ改めるべし、いろいろな情報(山)を重ね合わせて、正しいもの(お釈迦様の教えとマシューさんからの宿題の解)との出会いをする時期なのだというご託宣が降りてきました。

「真理のことば」を変じ改めるためには、どうしても、マシューさんからの宿題の解が必要であることに気づき、これらが別立てで存在しているのではなく、同じ源から発生している事を理解しました。上記の命題の解を考えるにあたって、情報を細かく調べて吟味し、熟考しますが、核は審神者の情報になりました。

 また、私の書いた「魂と脳と守護霊」シリーズの記事は、過去に訂正がたくさん入っていて、混乱した状態でした。この状態にピリオドを打つために、最終版記事を書きますが、この記事は「再考真理のことば」の付録1としても使用します。


2 人間の霊的システム

2-1  一霊四魂

 心とは、魂が凝(こ)っているものという意味から来ているそうです。そして魂は、“鬼の云うことが聞けるもの”で、ここで“云う”は、“言う”と異なり、単なる伝聞を、また、“鬼”とは、“隠れた存在”を意味するのだそうです。実は、神道ではオニは神様でもあり邪気でもあって、われわれが思い浮かべる邪鬼と同時に正反対の善神的な存在も指すようです。つまり、魂とは、神様の御託宣もしくは邪鬼(悪魔)のささやきを我々に届けてくれる存在と言うことです。

 魂が凝っている心という捉え方は、神道の一霊四魂という教えに非常に似ています。私は江戸時代後期の比較的新しい教えだと思っていましたが、日本書紀の大国主尊と少彦名尊の物語にも出てくる古来からの日本の叡智とされているようです。


 一霊四魂についての説明は、個性認識学(https://4soul.jp/ichireishikon/  )さんからの引用をさせていただきます。


*******************

 心は、四つの魂とそれを統御する一つの霊から成り立っています。四つとは、荒魂、和魂、幸魂、奇魂であり、一霊は直霊(直毘)という神様の名前がついています。荒魂の働きは「勇」で前進する力、和魂の働きは「親」で調和する力、幸魂の働きは「愛」で愛し育てる力、奇魂の働きは智で真理を探究する力です。…

*******************

 補足すると、霊界物語では、直霊(なおい)は直日(なおい)と書かれています。私は、以前は一霊四魂を荒唐無稽かなと感じたので この記事でも参考引用はしませんでしたが、時間が経った現在では、経験として素晴らしい概念(事実!?)だと思い至り、本書で取り入れることとしました。

 

図1一霊四魂

2-2守護神 

 前回は、本守護神様+正副守護神様については、資料に載せた「ひふみ神示冬の巻第1帖」を参考にしていました。その後、霊界物語を読み初め、「人間の霊的システム」について、もう少しはっきりとそのあらましが掴め始めましたので、守護神についても、新たな情報を付加して書き改めました。

 まず、本守護神様と正守護神様と副守護神様について、参考にした霊界物語の記述を下記に列挙します。

  1. 直日の御霊は本守護神である。(霊界物語 第6巻第6篇 百舌鳥の囁第36章 三五教より)
  1. 本守護神と正守護神と副守護神は、自分が宿っている人間を見ることがない。なぜならば、それらの知覚世界は精霊界であり、この世の中は見れなくなっている。(霊界物語 第47巻 第 篇 天国巡覧 第12章 天界行より)
  1. 人間の本体である精霊である三つの守護神は人間の体の中に入っていて、相共に居ることは少しも知らない。(霊界物語 第47巻 第3篇 天国巡覧  第12章 天界行より
  1. 本守護神は天霊、正守護神は善霊、副守護神は悪霊である。(霊界物語 第47巻 第3篇 天国巡覧  第12章 天界行より)
  1. 副守護神は人間の記憶・想念の中にある悪しき事物の間に潜入する。(霊界物語 第47巻 第3篇 天国巡覧  第12章 天界行より)
  1. 正守護神は善き事物の間に侵入する。(霊界物語 第47巻 第3篇 天国巡覧  第12章 天界行より)
  1. 守護神たちは、人間の記憶や想念を自分たちのものだとしんじている。(霊界物語 第47巻 第3篇 天国巡覧  第12章 天界行より)
  1. 欲は四魂の働きの遂行から生じる。                    


 (3)より、守護神と言われるものは 精霊と言われる存在で、実はその宿主である人間を認知しておらず、心で共有されている記憶や想念を認識しているようです。日月神示では本守護神様も正守護神様も、実は、それぞれ神界と霊界の自分であると説かれています。このことから、“真理のことば”で、セルフ(自己)と呼ばれるものは、本守護神様(多分、ハイヤーセルフと申し上げて良いと思います。)と正守護神様(セルフ)だと考えています。

 

 2-3 心

 人間の心を作っているのは、ベースとして一霊四魂であるという説を前章で記しました。ただ 2-5で後述しますが、本守護神様は、少し離れて 心や人間本体を見守っている様に私は感じています。心には正守護神様と副守護神様が(5)や(6)のように潜伏なさっています。つまり、心は


心=(一霊)四魂+正守護神様+副守護神様(新定義1)


となっていると考えられるのです(図2参照)。

 そして、四魂が持っている記憶や想念(欲も含む)を、心でみんなが共有するというシステムのようです。そして、四魂こそが体現された三次元の自分に最も近いのだろうと思います。今、人が問題に直面したと 心が判断した時に、凝り固まった存在(魂 or 精霊)たちが自分のことのように親身になって解決するためのアドバイスをします。その時、一番権限があるのは、理想的には正守護神で、このような時には、善意に根差した常識的な判断がなされます。しかし、ここで副守護神が権限を持ってしまうと、とにかく心から割り出される解決策や対応が悪となって現れます。


 正守護神様が上手に働いている良いスパイラルでは、四魂には滋養が行き渡り、心に新たな善を植え付けることができます。このことを「心を整える」や「心を治める」と表しているのでしょう。これを推し進めることにより、セルフ(自己)である本守護神様や正守護神様が守られ、その力の発動が容易になり 人間から真人(神人)となれるのでしょう。


 本守護神様は、正守護神様が霊界から一段上に上がった神界へ移行できるように指導していらっしゃると同時に、副守護神様が悪魔的振る舞いを悔い改めるように指導していらっしゃるのでしょう。正守護神様が神界に近づいた時に、その人は真人となり、完全に神界に入ってしまえばブッダ(目覚めた人)になるのではないでしょうか。四魂に直接的に働きかけるのは正副守護神様方でしょう。


 反対に悪いスパイラルは四魂を壊していく力があります。それの行き着く先は、心が悪だらけになり四魂が劣化し、副守護神の言いなり、つまり人間が悪魔の容れ物となります。本守護神様は、だいぶ位が高いので悪に引きずり込まれることはない様ですが、酷い場合は正守護神様も道連れにして悪魔にしてしまいます。


2-4 心臓と脳

 脳と心臓についての自分の考察のきっかけは、「資料4 人型図上の指によるエネルギー測定の試行」で、この考察から

  • 脳の働きは、心で割り出した対応方法を三次元に焼き直し身体の各器官に命令し、また、外界の情報を心が理解できる ように翻訳する装置で、コンピューターで言えば CPU にあたる部分
  • 心は心臓にいると主張する資料2は妥当

だと私は考えています。

 ここで、脳を通して心からの情報が認識されうるものを(顕在)意識と言えば、(顕在)意識は主に脳にあると言って良いと思います。また、意識として現れない心(凝った魂;文献1のアートマン)を潜在意識とすれば、心は顕在意識と潜在意識 からなると考えても良いと思います。つまり、

心=顕在意識+潜在意識 (新定義2)

です。(新定義2)は、(新定義1)を否定するものではなく、心の見方を変えて定義を変えただけのことです。顕在意識が 潜在意識の上に出てきたものですが、はっきりと線を引いて分けることは難しいでしょう。(新定義2)に関しては「資料3 中村元氏の心と意に関する記述」も参照してください。

 ただし、脳は必ずしも顕在意識的な状況のみではなく、潜在意識から発せられる情報の翻訳も行っている ようです。不随意筋などが動くのも認識はせず、本能とされるのでしょうが、やはり脳の働きは必要です。また、脳 も 90 %以上の脳細胞が活発に働いていないと言われていますが、これらが心の潜在意識部分からの情報の処理を担っていると考えています。その結果、頭で理解して納得したつもりでも心臓がドクドクすることや、意識を通さずに身体が動く体得 というものが存在するのでしょう。また、顕在的に脳が出した指令があまり妥当ではない時など、それを否定する信号が、意識しないままに、脳から身体に送られることもあるようです。

 以上より、脳と心臓は不可分であることを説明しましたが、心臓(心)と脳の連携のほとんどは、身体の神経機関を使って行われているようです。さらに、神経が大量に通っている器官は脳と心臓(心)とより強く繋がっていると言えるのです。言い換えると、そのような器官は心の潜在部分も強く体現してしまう性質を持っているのです。ですから、発達した視覚神経が通る目は心の窓と言われ、他にも“つい手が出ちゃう”、“つい口からでちゃう”というような慣用表現が生まれたのでしょう。考察は、図3に記します。


 2-5 丹田

 本守護神様の直日(なおい)様は、正守護神様や副守護神様が心の中にいらっしゃるのとは異なり、少し離れたところから心全体を見てらっしゃるようです。そして、場所としては 下っ腹の丹田あたりから心を観察していらっしゃるようで、私の予想としては、三次元の人間本体の状況もよく見てらっしゃると思います。したがって、下っ腹に意識を集中して、自分の心や行動を省みることにより、直日様からのアドバイスが自分の内部から湧き上がって伝わるようです。ですから、禅定(瞑想)を行う時に、丹田に意識を集中するのは、禅定のいろはなのでしょう。 

 また、本守護神様はとても力のある善神様なので状況の改善が図られることもありますが、それが奇跡的には見えないのが特徴だと、日月神示では記されています。また、本守護神様は、平常運転時には ご発動なさることはなく、何か危機的な状況や非常に重要な局面でご発動なさるようです。

 実は、本当に重要なことは資料2-2で記されたハート(心臓)に聞くのも有効ですが、心臓部分を落ち着けて(すなわち心を落ち着けて)自省しながら、下っ腹に意識を集中して考えることが有意義だと思います。また、 脳(器官)と心臓(心)の連絡は、物理的に神経細胞が介しているようですが、下っ腹と心臓の間は、両端が霊なので テレパシーのような別の情報伝達手法がメインではないかと思っています。 


2-6 DNA

 次に、肉体本体を作り出すDNAについて考えます。資料の日月神示では「人間の肉体は想念の最外部、最底部をなすものであるから肉体的動きの以前に於て霊的動きが必ずあるのであるぞ」と記されています。体はDNAによって、設計されています。これは先祖から受け継いだものが多いでしょう。
 また、DNAは体質を決めるDNAと、働きが全くわからないDNAがあることがわかっています。前者は数パーセントしかないのですから、働きがわからないDNAの多さにびっくりします。これは2-4で記した脳細胞の構成と似ています。ここで、

  DNA1:三次元の肉体を設計する(体の丈夫さ、運動神経等、頭の良し悪し)、

  DNA2:いまだに役割が特定できていないもの

に分類しましょう。私は、資料の日月神示の情報から、神様やご先祖様からの指令やその人の元来の性格や考え方の癖などは、DNA2に情報があるのではないかと考えています。したがって、DNA2は、心と常に情報をやり取りしていて、実は心の記憶装置(ハードディスク)として働いているのではないかと考えています。ただ、もちろん 顕在意識とのやりとりはなく、顕在意識には現れないと考えています。

 一方、DNA1も身体の作り方を記憶しているので、こちらも身体設計用の記憶装置と捉えることができます。こちらも顕在意識が認識することはないでしょう。いずれにしても、DNAは心が必要とする情報を記憶格納する役割があると考えられます。

 

3. 連携による人間システムの維持 

3-1 情報伝達

 身体の各器官が何らかの情報を受けた時、その器官から脳に送られた情報は脳で翻訳され心に伝達されます。その対応策は心で各魂や守護神により会議決定され、その情報を脳に返送し、脳が翻訳して身体の隅々に働きを命じて、私たちの生活が成り立っていると考えています。脳は、顕在情報としても意識されない潜在情報も情報処理をしているので、想像以上に沢山の情報処理をしているようです。

 例えば、体調不良を認識しないまま、完治するなどと言うことは日常茶飯事ですから、このような場合は、潜在意識のみで脳を通して身体の各器官に対応策が送られている結果でしょう。

 身体の器官・末端の細胞が受信する情報は、外界の音や映像などの五感情報だけではなく、霊的な働きかけの情報もあるようです。その一例としては、外部霊の認知でしょう。これらは、人によりますが、身体のどこかで受け取り、その情報は潜在的に脳を通して心に伝わることが多いようです。ただし、人間は、基本的にこれらを顕在的に認知する能力も備えているようです。何だか、ドキドキするとか、虫の知らせとかが、その例です。そして、この感度の強弱はやはり個人差があり、感度の良い人は霊感のある人で、さらに、いろいろな情報を得られる人たちが霊能者なのでしょう。日月神示では、この五感を、超五感と記しています。この超五感により悪霊が副守護神と共鳴して、その人を破壊したりもします。

 話は変わりますが、精神障害には、

1. 身体の脳が物理的に誤動作, 故障する場合と、
2. 副守護神や外部悪霊により、心に歪みが生じ誤動作する場合 

の2通りがあるのではないかと思います。どちらも、もちろん霊的な作用がありますが、下記のような特徴があるのではないかと考えています。

1.  死に至るために生じる場合も多い 

2.  心が正しく治っておらず、正守護神や四魂が苦しんでいるサインを脳に出してる場合です。これを改善すれば治る可能性が高いと考えていますが、この時に精神分裂的な症状が現れます。それは、正守護神と副守護神の対立の現れでしょう。ただし、悪い方に振り切れると、副守護神率いる悪魔の単一守護となるので、落ち着いたように見えます。


 最後に、通常は心臓死より脳死が先になりますが、これは心が情報処理部である脳のスイッチを切るからでしょう。そして、心臓のスイッチは 本守護神様が切るのでしょう。これは、魂が安全に身体から抜けるためだと考えています。 

3-2 心と身体と DNA の連携 

 どんな(論理的な)思考も、心で為され、思考を司っているのは 主に心臓部分であろうということは、私にとっては驚愕の事実です。なぜならば、日常的に使われる“ 頭を使う ”という表現を疑ったことはなく、思考を行うのは頭だと信じきっていたからです。 もちろん、三次元的な現れをするために、脳が担っている仕事量はものすごく多く、やはりそこの性能が良い、つまり頭が良いということは、重要なことでしょう。しかし、脳から出るものは、心の有様を超えることができない、心>脳という関係があるのです。そして、心の状態は、これを治める四魂と守護神様方の中で、その時もっとも影響力のある守護神様によって決定されます。そして、その候補としては、正守護神様か副守護神様ですが、そのどちらを自分の主人にするのかを決めるのが四魂でしょう。正守護神様のご主人様は本守護神様ですが、副守護神様のご主人様はよその悪魔です。

 一般的に、脳は心を制御できないのですが、外部と心との通路も脳ですから、心に作用するための一番有意義な器官は脳ということになります。

 脳に対する良い作用は、心が正守護神様の下で正しく治り、正しい行いや精進を行っている場合に起こります。脳から心には正常な情報が多く送られ、脳にも心から正常な情報が送られますので、心も脳も壊されにくくなります。その結果、その人は、安全に霊性の向上を目指せます。この場合、後述する悪魔による脳に向けられた致命的な妨害工作は、本守護神様のご発動により阻止されます。

 逆に脳に対する悪い作用は、心を封印する、もしくは、破壊するための攻撃で、悪党のプロパガンダによる洗脳、劣化した教育、あからさまな不当行為などが代表例です。これにより、顕在意識 から悪い思考やネガティブな念いを侵入させて思考回路を壊したり乱したりして、潜在意識の書き換えすら行なってしまうのです。このような事態に陥った時は、考えがスムーズに流れにくくなります。その原因は、正守護神様と副守護神様の対立があるからで、心を落ち着けて自省し 下っ腹に意識を集中させて考えてみてください。それでも上手くいかないときは、一度 棚上げにして 放置するのが有効です。 他にも、様々な薬物や電磁波により身体の末端の器官から脳へ異常信号を送る事や、DNA を損傷させることで脳に異常な情報を送る事などによって、心(潜在意識)を攻撃する方法もあります。

 脳は DNA を記憶装置として管理していますが、脳がDNAの書き換えもできる機能を持っていると、私は思っています。

 例えば、常に正精進を行い鍛錬した場合には、本守護神様や正守護神様の許可のもとに、心が脳に DNA の書き換えを命じ、それに沿って脳がDNAの書き換えを行うというものです。ですから、スポーツなども鍛錬すれば、体が覚えるというのは、DNAにその情報が蓄積された、つまりDNAに書き換えが施されたと考えるのです。日月神示によると、この変化は本人の努力に見合ったペースで行われるようで、結果的には奇跡的だったのでしょうが、あからさまな奇跡には見えないのが特徴だそうです。そして、もちろん顕在意識では認識できない作業です。
 反対に、副守護神を通して、脳が DNA を書き換えてしまうこともあります。この場合は、稀に奇跡的な飛躍に見えることもありますが、最終的には連続した劣化が主になります。 

3-3 まとめ

“ はじめに ”で述べた 2 つの命題の結論は、 

1. 「人間の魂と心とは何か?」

    • ・人間の心は魂が寄り集まったもの
    • ・心=一霊四魂+正守護神+副守護神 (新定義1)
    • ・心=顕在意識+潜在意識 (新定義2)

2. 「人間の身体と心の繋がりはあるのか、否、あるのは確実ですが、どういう関係なのか?」

・図2に守護神様と心と身体の情報の関係をまとめました。

です。

 皆様、お付き合いいただきありがとうございました。 マシューさん、長い間、見守りいただき、ありがとうございま した。 2020/9/29 (合掌)



図2 守護神様と心と身体の情報の関係


資料1 – 日月神示 第30巻 冬の巻第一帖 – 

 宇宙は霊の霊と物質とからなってゐるぞ。人間も又同様であるぞ。宇宙にあるものは皆人間にあり。人間にあるものは皆宇 宙にあるぞ。人間は小宇宙と申して、神のヒナガタと申してあらう。人間には物質界を感知するために五官器があるぞ。霊界を感知するために超五官器あるぞ。神界は五官と超五官と和して知り得るのであるぞ。この点 誤るなよ。霊的自分を正守 護神と申し、神的自分を本守護神と申すぞ。幽界的自分が副守護神ぢゃ。本守護神は大神の歓喜であるぞ。

 神と霊は一つであって、幽と現、合せて三ぞ。この三は三にして一、一にして二、二にして三であるぞ。故に肉体のみの自分もなければ霊だけの自分もない。神界から真直ぐに感応する想念を正流と申す。幽界を経て又幽界より来る想念を外流と申すぞ。人間の肉体は想念の最外部、最底部をなすものであるから肉体的動きの以前に於て霊的動きが必ずあるのであるぞ。故に人間の肉体は霊のいれものと申してあるのぞ。 

(...) 

 人間は霊界より動かされるが、又 人間自体よりかもし出した霊波は反射的に霊界に反影するのであるぞ。人間の心の凸凹 によって、一は神界に、一は幽界に反影するのであるぞ。幽界は人間の心の影が生み出したものと申してあろうがな。

 (...) 

 故に、人間の生活は霊的生活、言の生活であるぞ。肉体に食ふことあれば霊にもあり、言を食べているのが霊ぞ。霊は言ぞ。この点が最も大切なことじゃから、くどう申しておくぞ 

 死んでも物質界とつながりなくならん。生きてゐる時も霊界とは切れんつながりあること、とくと会得せよ。そなた達は 神をまつるにも、祖先まつるにも物質のめあてつくるであろうがな。それはまだまだ未熟な事ぞ。 

(...) 

 更に祖先は過去の自分であり、子孫は新しき自分、未来の自分であるぞ。兄弟姉妹は最も近き横の自分であるぞ。人類は 横の自分、動、植、鉱物は更にその外の自分であるぞ。切りはなすこと出来ん。

 自分のみの自分はないぞ。縦には神とのつながり切れんぞ。限りなき霊とのつながり切れんぞ。故に、神は自分であるぞ。 一切は自分であるぞ。一切がよろこびであるぞ。

 霊界に於ける自分は、殊に先祖との交流、交渉深いぞ。よって、自分の肉体は自分のみのものでないぞ。先祖霊と交渉深 いぞ。神はもとより一切の交渉あるのであるぞ。その祖先霊は神界に属するものと幽界に属するものとあるぞ。中間に属す るものもあるぞ。神界に属するものは、正流を通じ、幽界に属するものは外流を通じて自分に反応してくるぞ。正流に属す る祖先は正守護神の一柱であり、外流に加はるものは、副守護神の一柱と現はれてくるのであるぞ。外流の中には、動植物 霊も交ってくることあるぞ。それは己の心の中にその霊と通ずるものあるためぞ。 

 一切が自分であるためぞ。常に一切を浄化せなならんぞ。霊は常に体を求め、体は霊を求めて御座るからぞ。霊体一致が喜 びの根本であるぞ。一つの肉体に無数の霊が感応し得るのざ。それは霊なるが故にであるぞ。霊には霊の霊が感応する。又 高度の霊は無限に分霊するのであるぞ。

(...) 

 人間は現界、霊界共に住んで居り、その調和をはからねばならん。自分は自分一人でなく、タテにもヨコにも無限につな がってゐるのであるから、その調和をはからねばならん。それが人間の使命の最も大切なことであるぞ。 

 調和乱すが悪ぞ。人間のみならず、総て偏してならん。霊に偏してもならん。霊も五、体も五と申してあらう。ぢゃが主は 霊であり体は従ぞ。神は主であり、人間は従であるぞ。五と五と同じであると申してあろう。差別則平等と申してあらう。取り違い禁物ぞ。 

資料2 心臓についての参考文献

 資料4に示しましたが、心臓は特異ですから、心臓には何があるのかな?と調べたところ、二つの文献がありました。

  1. 一つ目は、「真理のことば OS03 章 心 O37」の詩の中村氏による注釈に、「胸の奥の洞窟;(略)古ウパニシャド以来、 アートマン(心)は心臓の内にある空処に住すると考えられていた。それを受けている。」と記述があったのです。
  2. 2つ目は、マシュー君のメッセージを掲載してらっしゃる森田玄さんのブログ(http://moritagen.blogspot.jp)2017/5/4 の記事の一部が参考になりますので、ご紹介します。 

************

「心(ハート)に聞きなさい」と昔からあらゆる文化で言われてますが、ではどうしたら聞こえるのか、その方法が具体 的に示されたことはありません。
英語ではハート(心)と心臓は同じ言葉(Heart) ですが、日本語は心と心臓は別です。でも、どうして昔の人は「心の臓 器」と呼んだのでしょう? 過去20年間の心臓神経学の発達によって、心臓には「心臓脳」と呼ばれる脳と同じ神経節ネットワークがあること、心 臓と脳が常にコミュニケーションしていること、そして心臓から脳に送られる情報量は脳から心臓に送られるものより10 0倍以上も多いなどが発見されています。 単なる血液の循環ポンプだと思われていた心臓が、脳と全身の機能だけでなく、人間の感情、認知、行動、反応、能力に決 定的な影響を与えていることが科学的に実証されています。 

*********** 

資料3 中村元氏の心と意に関する記述

「真理のことば」第3章「心」では、訳者の中村元氏が注釈で、漢訳版で「心意品」と記されている題名を「心」と意訳し、別の箇所でも漢訳では「意」と表記されている部分を「心」と意訳しています。「意」というと認識できる意識(顕在意識)を中国では表すのでしょう。「意」を心の音と漢字の成り立ち通りに捉えてたら、音がある心、つまり気づきやすい心となり、顕在意識であるのがわかります。一方、当時の中国人訳出者は心を潜在意識と捉えたのだと思います。ですから、題名は「心意品」となっているのでしょう。

 日本人は、古来より心を顕在部分と潜在部分の集合体と捉えていたのでしょう。「心意」と書かれるより、「やまと言葉」の「心」を使いたかった、中村氏の訳出も、日本人としては賛同できます。しかし、漢訳の厳密な表記は、心という概念がわかるだけの感覚を失った現代人にとって大切で、心の正しい状況を端的に言い表していると称賛せずにはいられません。 

3-1 人型図上の指によるエネルギー測定の試行

 今回の題目に取り掛かる前に、白い紙に人型を書いて、目をつぶって人型の上を自分の指で撫でていく試行を行いました。 どうして、そんな事をしたのかと言えば、指先に意識を集中すると何かを感じ取ることができるのかなと言う、疑問からです。 ですから、このテキストのためにこの試行を行なったわけではないのです。しかし、私の指は、違いを感知しました。ちょっ とした振動が伝わってくる場所があったのです。3回の試行ともほぼ同じ結果をえました。 

・心臓部は全く疑う余地がないほど、強く振動を伝えてきました。
・喉部が次に強い振動を伝えてきました。 

・頭とお腹は同じくらいの振動ですが、心臓と喉に比べるとだいぶ小さくなりました。 

・手と股間は同じくらいですが、弱かったです。
・足は、振動を感じませんでした。
図3に人型図上の指によるエネルギー測定の試行の結果を書き込みます。 

 半年の停滞期間に、この試行結果が、顕在意識や潜在意識、守護神と関係があるのではないかと考えるようになりました。

 この辺りは、私が訂正を入れまくったことからもわかるように、非常に苦労した部分です。しかし、初期にはツイッターでの記事 だったので、バラバラになっています。

  私が感じた身体から放出されるエネルギーが頭の部分で他の器官よりは多く感じられたのは脳が原因ではないかと思っています。しかし、心臓はさらに一桁以上多いエネルギーです(紙の人型を使って、指で感知してみてください。 心臓だけは分かる方も多いと思います。)。これには本当に驚愕しました。頭が一番大きなエネルギーを出していると思って いたので、とても意外でした。 それ以外で、強いエネルギーを感じた部分の考察は図3に記しました。

 最後に、日月神示では、心臓のみではなく肺を合わせた 「心肺による呼吸と脈打ち」が 人間にとって大切だと 説いていることを付記して 終わりとします。



図3 身体の各器官の連携と人型エネルギー測定結果




再考「真理のことば」のバージョンアップの歩み💕

 再考 「真理のことば」 月夜の龍 著 2019/2/19

  ⇩ブッダと御仏等の言葉の再定義による変更

再考「真理のことば」ver. 1     2019/6/20

  ⇩ 付録1の心と魂の捉え方変更による、“付録1”、“§FS 1 心”、“FS 2 自己”、および“付録2”の変更作業

  ⇩ “付録1”の変更作業  ←  (2020/10/1完了) 

   “付録2”の変更作業  ←  今 ココ ❤️(2020/10/22完了)

   新課題“バラモンの地位を排除して再構築する” ため全体的な見直し←  今 ココ ❤️ 

・再考「真理のことば」ver.1 リプレイス版1(PDF)で準備中 (いつになるかな?)