2018年12月13日木曜日

教科書と先生

 歴史の訂正は急務でした。それが日本国紀だったのですよね、きっと。
 日本国紀は、教科書を目指したからこそ、脱線も少なく、無理な議論はしないスタンダードな書物になりました。
 出版する交換条件で色々と飲まされた条件もあるのでしょう。公の発表物だから、さまざまな人たちの利害が対立したので、仕方なかったと思います。その中では最大限のことをおやりになったと思います。

 しかし、今の教科書全般には欠点が多いけれど利点もあるのです(ただ、中学英語だけは全改定が必要かも)。やはり、個人レベルで授業を練るよりは偏りが少ないのです。

 そして、現在進行形で修学している人たちもいるし、教えている人にだって良心がある人も多くはないけれど少なくもないのです。現時点で一辺倒な議論で教科書の破壊工作に協力するのは危険です。

 教科書を使わなかった悪い授業の例です(大学ではこんなのが横行していますが;爆笑。)


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高校時代の現代文の授業で、

太宰治の人間失格、
安部公房の砂の女、
小林多喜二の蟹工船

を立て続けに習ったことがありました。もう、気持ちが暗くなるので授業が聞けませんでした。その国語の先生の嗜好です。センコウ、グレイかよ?仁義、お礼参りに伺わせていただきます。」なんちゃって。
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 教科書や指導要領がない世界なら、現文に限らず、全ての教科でもっとひどいことになるでしょう。
 教科書が酷いと言えども、現時点では、これを上手に活用し、先生の良心が加わえるのが最良の手段です。急な改善を目指すと足をすくわれますので、徐々に改良をする気持ちを忘れずに持っておく事が必要です。
 教科書の改定も必要ですが、どちらかと言えば、教員採用が急務です。