バラモンという言葉に気を使わなくなった結果、詩番号F333~F337の書き換えじつれいです。修行僧でも真人の域にいる修行僧を「真の修行僧」と表記しています。
詩番号
F333 (F333, B, O393, OS26) 、
F334 (F334, A, O307, OS22)、
F335(F335, B, O394, OS26)、
F336 (F336, C, O395, OS26)、
F337 (F337, C, O396, OS26)
[[ @ GS 19 修行僧 ]]
現在行っている書き換え詩(暫定)
F333
氏姓と生れによってバラモンとなる。
氏姓と生れによって修行僧なのではない。
真理と理法とをまもり、涅槃(悟りによる解脱)に入りし者、この者こそ 真の修行僧なのである。
F334
袈裟を頭から纒っていても、性質 (タチ) が悪く、つつしみのないバラモンが多い。かれら悪人は、悪いふるまいによって、悪いところに生まれる。
F335
愚者よ。バラモンの身なりだけ整えて、何になるのだ。汝は内に密林 (=汚れ) を蔵して、外側だけを飾る。
F336
氏姓と生れによってバラモンとなるのであるが、粗末な身なりで 痩せて 血管があらわれていようとも 寂しい場所で一人で瞑想に専念する人がバラモンともいわれている。
F337
(バラモン女の) 胎から生れ (バラモンの) 母から生れた人はバラモンであって、真の修行僧と呼ぶのではない。この人は「【君よ】 といって呼びかけるバラモン」である。かれは何か所有物の思いにとらわれている。無一物であってもなくても、執着から離れた人、── その人を真の修行僧と呼ぶ。
前回の再考真理のことばで書き換えた詩
F333
螺髪を結んでいるからバラモンなのではない。氏姓によってバラモンなのでもない。生れによってバラモンなのでもない。真理と理法とをまもる人は、安楽である。かれこそ (真の) バラモンなのである。
F334
袈裟を頭から纒っていても、性質 (タチ) が悪く、つつしみのないバラモンが多い。かれら悪人は、悪いふるまいによっ て、悪いところに生まれる。
F335
愚者よ。バラモンの身なりだけ整えて、何になるのだ。汝は内に密林 (=汚れ) を蔵して、外側だけを飾る。
F336
粗末な身なりで、痩せて、血管があらわれていようとも、寂しい場所で一人で瞑想に専念する人、─その人を我はバラモンと呼ぶ。
F337
われは、(バラモン女の) 胎から生れ (バラモンの) 母から生れた人をバラモンと呼ぶのではない。この人は「【君よ】と いって呼びかける者」といわれる。かれは何か所有物の思いにとらわれている。無一物であっても執着のない人、── その人を我はバラモンと呼ぶ。