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・詩(355)[345]の後に、詩[218](354) を第16章 愛するもの から移動。(181022)
書換え詩一覧(その12)
第18, 24章 汚れ、執着と欲望と汚れ(愛執 改め)
第18章 汚れ
(235)[312]
汝はいまや枯葉のようなものである。閻魔王の従卒もまた汝に近づいた。汝はいま死出の門路に立っている。しかし汝には資糧(かて)さえも存在しない。l0m
(236)[削除 ]
(237)[削除 ]
(238)[313]
だから、自己のよりどころをつくれ。すみやかに努めよ。賢明であれ。汚れをはらい、罪過がなければ、汝はもはや生と老いとに近づかないであろう。
(239)[314]
聡明な人は順次に少しずつ、一刹那ごとに、おのが汚れを除くべし、__鍛冶工が銀の汚れを除くように。
(240)[315]
鉄から起った錆が、それから起ったのに、鉄自身を損なうように、悪をなしたならば、自分の業が罪を犯した人を悪いところにみちびく。
(241)[316]
読誦しなければ聖典が汚れ、修理しなければ家屋が汚れ、身なりを怠るならば容色が汚れ、なおざりになるならば、つとめ慎しむ人が汚れる。
(242)[317]
不品行は婦女の汚れである。もの惜しみは、恵み与える人の汚れである。悪事は、この世においてもかの世においても(つねに)汚れである。
(243)[318]
これらの汚れより、さらに根元的な汚れが、無明である。修行僧らよ、努め励み、慎むことにより、もろもろの汚れを順次捨て、ついには自己を覆う無明が壊れ去るのを見とどけよ。
(244)[319]
恥をしらず、烏のように厚かましく、図々しく、ひとを責め、大胆で、心のよごれた者は、生活し易い。
(245)[320]
恥を知り、常に清きをもとめ、執著をはなれ、慎み深く、真理を見て清く暮す者は、生活し難い。
(246, 247)[321]
生きものを殺し、虚言(いつわり)を語り、世間において与えられないものを取り、他人の妻を犯し、穀酒・果実酒に耽溺する人は、この世において自分の根本を掘りくずす人である。
(248)[322]
人よ。このように知れ、_慎みがないのは悪いことである。
_貪りと不正とのゆえに汝が永く苦しみを受けることのないように。
(249)[323]
人は、信ずるところにしたがって、きよき喜びにしたがって、正しくほどこしをなさなくてはならない。
また、施しに見返りを求めてはならない。なぜならば、これにより汚れが増す。
(250)[324]
正しくほどこされた食物や飲料に満足しない人は、昼も夜も心の安らぎを得ず、汚れが増す。
(251)[325]
情欲に等しい火は存在しない。不利な骰(さい)の目を投げたとしても、怒りに等しい不運は存在しない。迷妄に等しい網は存在しない。妄執に等しい河は存在しない。
(252)[326]
他人の過失は見やすいけれど、自己の過失は見がたい。人は他人の過失を籾殻のように吹き散らす。しかし自分の過失は、隠してしまう。
_狡猾な賭博師が不利な骰(さい)の目をかくしてしまうように。
(253)[327]
他人の過失を探し求め、つねに怒りたける人は、煩悩の汚れが増大する。かれは煩悩の汚れの消滅から遠く隔っている。
(254)[328]
人々は汚れのあらわれを楽しむが、修行完成者は汚れのあらわれを楽しまない。
(255)[329]
造り出された現象が常住であることは有り得ない。真理をさとった人々(ブッダ)は、全ての汚れがなくなったので、動揺することがない。
(第18章 汚れ 終わり)
第24章 執着と欲望と汚れ(愛執 改め)
詩番号334〜347は番号順に、その後は356〜359、349、350、355、354、348、351〜353の順で書き記す。
(334)[330]
恣(ほしいまま)のふるまいをする人には執着が蔓草(つるくさ)のようにはびこる。林の中で猿が果実を探し求めるように、輪廻転生し、あちこちさまよう。
(335)[331]
この世において、執着のもとである汚れによりうずく心のなすがままである人は、もろもろの憂いが増大する。_雨が降ったあとにはビーラナ草がはびこるように。
(336)[332]
この世において如何ともし難いこのうずく心の汚れを断ったならば、憂いはその人から消え失せる。_水の滴が蓮華から落ちるように。
(337)[333]
さあ、皆さん告げます。_ここに集まった皆さんに幸あれ。執着の根(心の汚れ)を掘れ。葦が激流に砕かれるように、魔にしばし砕かれてはならない。
(338)[334]
たとえ樹を切っても、もしも頑強な根を断たなければ、樹が再び成長するように、執着の根源となる潜勢力(わずかな心の汚れ)を滅ぼさなければ、執着による苦しみはくりかえし現われ出る。
(339)[335]
この世の中には、快いものに向って流れる激流があり、その波浪は、悪しき見解をいだく人を漂わし去る。
(341)[336]
人の快楽を求める執着は、はびこるもので、また心の汚れで潤される。実に人々は歓楽にふけり、楽しみをもとめて、生れと老衰を受ける。
(340)[337]
流れ(欲望)は至るところに流れる。蔓草(執着)は芽を生じつつある。その蔓草が生じたのを見たならば、知慧によってその根を断ち切れ。
(342、343)[338]
欲望への執着に駆り立てられた人々は、わなにかかった兎のように、ばたばたする。欲望になずみ、欲望の激流に束縛され、永い間 繰り返し執着しては得られない苦悩を受ける。それ故に修行僧は、自己の執着を除き去れ。
(344)[339]
欲望の林から出ていながら、また欲望の林に身をゆだね、欲望の林から免れていながら、また欲望の林に向かって走る。その人を見よ! 束縛から脱しているのに、また束縛に向かって走る。
(345、346 )[340]
鉄や木材や麻紐でつくられた枷を、思慮ある人々は堅固な縛とは呼ばない。
財や宝石や耳環・腕輪をやたらに欲しがること、悪になずんだ妻や子にひかれること、_それが堅固な縛である、と思慮ある人々は呼ぶ。それは低く垂れ、緩く見えるけれども、脱れ難い。
思慮ある人々は、己のためにならないこれらを断ち切って、欲楽を捨てて、修行する。
(347)[341]
欲望になずんでいる人々は、激流に押し流される、_蜘蛛がみずから作った網にしたがって行くようなものである。思慮ある人々はこれをも断ち切って、顧みることなく、すべての汚れを捨てて、歩んで行く。
(356〜359)[342]
田畑は雑草によって害われ、この世の人々は、欲求、執着、怒り、誤った見解(迷妄)によって害われる。
[212~215](351) 第16章 愛するもの から移動
執着から憂いが生じ、執着から恐れが生じる。執着を離れたならば憂いと恐れが存在しない。
[212~215](352)
心の汚れから憂いが生じ、心の汚れから恐れが生じる。心の汚れを離れたならば憂いと恐れが存在しない。
(349)[343]
あれこれ考えて心が乱れ、汚れにより心がはげしくうずくのに、心の汚れ(不浄)を淨らかだと見なす人には、執着がますます増大する。この人は実に束縛の絆を堅固たらしめる。
(350)[344]
あれこれの考えをしずめるのを楽しみ、常に心身の汚れ(不浄)を観察して心を治める人は、実に悪魔の束縛の絆を取り除き、断ち切るであろう。
(355)[345]
激流の中で、解脱(彼岸、ニルヴァーナ)を求める人々は享楽に害われることがない。愚人は享楽のために害われるが、享楽を執着するがゆえに、愚者は他人を害うように自分も害う。
[218](354) 第16章 愛するもの から移動
言葉で説き得ないもの(ニルヴァーナ)に達しようとする志を起し、意(オモイ)はみたされ、諸の愛欲に心の礙げられることのない人は、(流れを上る者)と呼ばれる。
(354)[346]
教えを説いて与えることはすべての贈与にまさり、教えの妙味はすべての味にまさり、教えを受ける楽しみはすべての楽しみにまさる。執着を滅ぼすことは全ての苦しみにうち勝つ。
(348+421)[175] 第14章ブッダ 詩421と合体して詩421を置き換える。
前(過去の執着)を捨てよ。後(未来の執着)を捨てよ。中間(今の執着)を棄てよ。
その様な人を生存の彼岸に達したという。
その様な人はあらゆることがらについて心が解脱していて、もはや生れと老いとを受けることが無いであろう。
そして、前(過去)にも、後(未来)にも、中間(現在)にも、全てのものを所有し、何ものをも執着する必要がない。
─その人を我は<ブッダ>と呼ぶ。
(351)[347]
第14章ブッダの詩403の後へ移動
さとりの究極に達し、執着なく、恐れること無く、わずらいの無く、汚れを滅ぼしつくした人は、生存の矢を断ち切った。
(352)[348]
第14章ブッダの詩403の後へ移動
執着をなくし欲望の激流を離れ、諸の語義に通じ諸の文章とその脈絡を知るならば、「大いなる知慧ある人」と呼ばれる。
(353)[349]
第14章ブッダのトップへ移動
我は全てに打ち勝ち、全てを知り、あらゆることがらに関して汚されていない。全ての執着を捨てて、汚れが尽き、心は解脱している。自らさとったのであって、誰を(師と)呼ぼうか。
(398)+(356)~(359) [170] 第14章ブッダ 詩398を置き換える。
この世の人々は、欲求、執着、怒り、誤った見解(迷妄)によって害われる。怒りと執着と誤った見解を断ち切り、潜在的な汚れを滅ぼし、無明が消失した、めざめた人、─その人を我は<ブッダ>と呼ぶ。
(第24章 執着と欲望と汚れ 終わり シリアルNo. 349まで使用)