2018年6月13日水曜日

第14章 ブッダ 書換え詩一覧 その7

訂正変更履歴
・詩398)全面訂正。(181010)
・詩421を置き換える。詩421第14章 執着と欲望と汚れの詩348と合体赤字表示(181016)
詩398を置き換える。詩398を第14章 執着と欲望と汚れの詩356~359 と合体181016)
詩403の後に詩351, 352を 第24章 執着と欲望と汚れから移動181016)
一番初めに詩353を 第24章 執着と欲望と汚れから移動181016)


( )は中村元氏の詩番号、 [  ]は編集した詩のシリアル番号 

真理のことば 第14章 ブッダ;出家修行者に向けて 書換え詩一覧

(353)[349] 第24章 執着と欲望と汚れから移動

 我は全てに打ち勝ち、全てを知り、あらゆることがらに関して汚されていない。全ての執着を捨てて、汚れが尽き、心は解脱している。自らさとったのであって、誰を(師と)呼ぼうか。

(179)[162]
 ブッダの勝利は敗れることがない。ブッダの境地はひろくて涯しがない。足跡をもたないかれを、いかなる道によって誘い得るであろうか?

(180)[163]
 誘なうために網のようにからみつき執著をなす妄執は、かれにはどこにも存在しない。ブッダの境地は、ひろくて涯しがない。足跡をもたないかれを、いかなる道によって誘い得るであろうか?

(182)[164]
 人間の身を受け、人生修行することは貴重で、無駄にしてはならない。
死ぬ運命にあると言われる人間は、実は、身体が死んでも、魂は連続的に存在する。
しかし、もろもろのみ仏の出現したもうことは稀であり、よって、正しい教えを聞くのは難しい。

(193)[165]
 尊い人(=ブッダ)は得がたい。かれはどこにでも生れるのではない。思慮深い人(=ブッダ)の生れる家は、光り輝く。

(195)+(196) [166]
 すでに虚妄な論議をのりこえ、憂いと苦しみをわたり、何ものをも恐れず、安らぎに帰した、拝むにふさわしいそのようなブッダ、そして、その弟子たちに敬意を示し教えを請うならば、その人は功徳を得る。

(403)[167]
 明らかな知慧が深くて、聡明で、種々の道に通達し、最後の目的を達した人、──その人を我は<ブッダ>と呼ぶ。

(351)[347] 第24章 執着と欲望と汚れから移動
 さとりの究極に達し、執着なく、恐れること無く、わずらいの無く、汚れを滅ぼしつくした人は、生存の矢を断ち切った。
 
(352)[348] 第24章 執着と欲望と汚れから移動
 執着をなくし欲望の激流を離れ、諸の語義に通じ諸の文章とその脈絡を知るならば、「大いなる知慧ある人」と呼ばれる。

(414)[168]
 この障害・険道・輪廻(サマヨイ)・迷妄を超えて、渡りおわって彼岸に達し、瞑想・熟考し、興奮することなく、疑惑なく、執著することなくて、心安らかな人、──その人を我は<ブッダ>と呼ぶ。

(397)[169]
 すべての束縛を断ち切り、恐れることなく、執著を超越して、とらわれることの無い人、─その人を我は<ブッダ>と呼ぶ。

(398)[170]
 怒りと愛執と誤った見解とを、潜在的な煩悩ともども断ち切り、無明を滅ぼして、めざめた人、─その人を我は<ブッダ>と呼ぶ。
↓replace(置き換え)
(398)+(356)~(359) [170] 第14章 執着と欲望と汚れの詩(356)~(359) とくっつけて第14章ブッダ 詩398を置き換える。
 この世の人々は、欲求、執着、怒り、誤った見解(迷妄)によって害われる。怒りと執着と誤った見解を断ち切り、潜在的な汚れを滅ぼし、無明が消失した、めざめた人、─その人を我は<ブッダ>と呼ぶ。

(417)[171]
 人間の絆を捨て、天界の絆を越え、すべての絆をはなれた人、──その人を我は<ブッダ>と呼ぶ。

(418)[172]
 <快楽>と<不快>とを捨て、清らかに涼しく、とらわれることなく、全世界にうち勝った英雄、──その人を我は<ブッダ>と呼ぶ。

(419)[173]
 生きとし生ける者の生死をすべて知り、執著なく、覚った人、──その人を我は<ブッダ>と呼ぶ。

(420)[174] 
 神々も天の伎楽神(ガンダルヴァ)たちも人間もその行方を知り得ない人、煩悩の汚れを滅ぼしつくした真人、──その人を我は<ブッダ>と呼ぶ。

(421)[175]
 前にも、後にも、中間にも、全てのものを所有し、何ものをも執著して取りおさえる必要の無い人、──その人を我は<ブッダ>と呼ぶ。
↓replace(置き換え)
(348+421)[175]  第24章 執着と欲望と汚れ の詩348+第14章ブッダ 詩421
 前(過去の執着)を捨てよ。後(未来の執着)を捨てよ。中間(今の執着)を棄てよ。
 その様な人を生存の彼岸に達したという。
 その様な人はあらゆることがらについて心が解脱していて、もはや生れと老いとを受けることが無いであろう。
 そして、前(過去)にも、後(未来)にも、中間(現在)にも、全てのものを所有し、何ものをも執着する必要がない。
 ─その人を我は<ブッダ>と呼ぶ。

(422)[176]
 牡牛のように雄々しく、気高く、英雄・大仙人・勝利者・欲望の無い人・沐浴者・覚った人、──その人を我は<ブッダ>と呼ぶ。

(423)[177]
 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖者、完成すべきことをすべて完成した人、──その人を我は<ブッダ>と呼ぶ。
 (第14章 ブッダ 終わり)