2017年9月28日木曜日

第3章 心(元データと判定・解釈・考察と書き換え)

 “心”の詩句では、心の構造について正しく考察できていないと、惑わされます。結局理解できずに、お釈迦様の教えを遠ざけてしまうなら、実は合格かもしれません。なぜなら、理解しようと躍起になると、危険な思考回路(自己洗脳)を生んでしまいます。
 仏教も危険な落とし穴がたくさんあることを認識して、付き合わないといけないでしょう。

 この記事は、2017.9現在
http://newbuddhawords.blogspot.jp/2017/09/ver-2017.html に基づいて書かれている部分が多いので、そちらも参考にしてください。


詩番号 33 

***(元データ)*************

33)
 心は動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。英知ある人はこれを直くする____弓師が矢の弦を直くするように。 

***(判定)*************
B, D

***(コメント)*************
 これらの心は、主に潜在意識でしょう。顕在意識が暴走しやすいのは、これらの潜在意識の部分が誤った情報を流すからでしょう。「顕在意識を直接制御する潜在意識を強化すること、潜在意識を鍛え正流の情報を顕在意識に送れるようにしなさい。」と言う教えです。
 後半の記述は、普通の人には意味がわかりませんので、前半を反転させました。そして、私は“心を鎮め、護り、制す。”と三拍子そろったら、“心を治める”と定義します。心を治められる人こそが、覚醒者とか修行者と言われる人たちだと、私は思っています。
***(書換え詩)*************
33)
 心は動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。
 修行(覚醒)者は、心を鎮め、護り、制す。そして、心を治める。 


詩番号 34 

***(元データ)*************
34)
 水の中の住処から引き出されて陸「おか」の上に投げ捨てられた魚のように、この心は、悪魔の支配から逃れようとしてもがきまわる。 

***(判定)*************
B

***(コメント)*************
 私たち人間の心が、お釈迦様には、“陸「おか」の上に投げ捨てられた魚”のように、お見えになったのでしょう。
 悪魔の支配から逃れようともがき回るところに、仏様、神様が人を救済しようと決心なさる理由があるのでしょう。しかし、この守護も釣られた直後までだけで、釣り上げられた時間が長いほど、悪魔の支配に落ちて、ナアナアになる人が増えるのも現実です。
 もとよりも釣られないようにすることが大切です。それは、人間の力だけでは無理です。やはり霊界や神界からの守護が必要です。そのためには、顕在意識を直接制御する潜在意識を強化すること、潜在意識を鍛え正流の情報を顕在意識に送れるようにしなくてはなりませんが、この詩で言うように、多くの人はそれができていません。このメカニズムが理解できていないのも不利なのでしょう。
***(書換え詩)*************
34)
 多くの人の心は、水の中の すみか から引き出されて陸「おか」の上に投げ捨てられた魚のように、悪魔の支配から逃れようともがきまわる。しかし、やがて、力尽き悪魔の軍門に屈する。 

詩番号 35、36 

***(元データ)*************
35)
 心は、捉え難く、軽々(かろがろ)とざわめき、欲するがままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。
 心をおさめたならば、安楽をもたらす。

36)
 心は極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままにおもむく。英知ある人は守れかし。
 心を守ったならば、安楽をもたらす。 
***(判定)*************
B

***(コメント)*************
 捉えがたい、軽々とざわめき、極めて見難い、極めて微妙は潜在意識部分だと考えています。そして、欲するがままにおもむく心は顕在意識部分でしょう。これら潜在部分の命令により顕在部分が誤動作することが多いのです。しかも、この場合、自分では誤動作している自覚がないのです(周囲はオヤ?と思うのですよ!)真理から外れないようにするには、心を治める(鎮め、護り、制する)ことが必要だと私は考えています。この二つの詩は、顕在意識を誤動作をさせる潜在意識部分を細分化して教えているのだと考えています。
***(書換え詩)*************
35)
 心は、捉え難く、軽々(かろがろ)とざわめき、欲するがままにおもむくところがある。その心を、正しく治めることは良いことである。
 心を正しく治めれば、安楽が得られる。

36)
 心は、極めて見難く 極めて微妙な部分と、欲するがままにおもむく部分がある。悪魔が、これらの心を狙って支配する。
 心を悪魔から守らなければ、安楽は得られない。

詩番号 37

***(元データ)*************
37)
 心は遠くに行き、独り動き、形体なく、胸の奥の洞窟にひそんでいる。この心を制する人々は、死の束縛から逃れるであろう。 

***(判定)*************
D

***(コメント)*************
 心の曖昧さが強調される詩です。心は独りで動きまわり、遠くに行ってしまう部分が主に顕在意識、形体なく、胸の奥の洞窟(心臓)にひそんでいる部分は主に潜在意識と解釈しています。
 “制する”は、“治める”としましょう。
***(書換え詩)*************
37)
 心は独りで動きまわり、遠くに行ってしまう部分がある。また、形体なく、胸の奥の洞窟(心臓)にひそんでいる部分もある。これら心を治める人々は、死の束縛から逃れるであろう。 

詩番号 38 

***(元データ)*************
38)
 心が安住することなく、正しい真理を知らず、信念が汚されたならば、さとりの智慧は全うからず。
***(判定)*************
D

***(コメント)*************
条件と結果がちぐはぐです。整理して書き直しました。
***(書換え詩)************* 
38)
 正しい真理を知らず、信念が汚されたならば、心の安楽(安住)は得られず、よって、さとりの智慧は湧いてこない。

詩番号39 

***(元データ)*************
39)
 心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪のはからいを捨てている覚醒者(目ざめている人)には、何も恐れることが無い。 

***(判定)*************
D

***(コメント)*************
 発達には段階があります。
 善悪のはからいを捨てるには、心が煩悩に汚されていてもダメですし、念いが乱れていてもダメです。
 1⇨2⇨3⇨…と言う順を追っていくしかないので、その順番を逸脱すると正しい目的地には着けないばかりか、魂の退化に繋がります。
***(書換え詩)************* 
39)
 心が煩悩に汚されず、念いが乱れずに、善悪のはからいを捨てるに至った覚醒者は、何も恐れることが無い。 


詩番号 40、41

***(元データ)*************
 40)
  この身体は水瓶のように脆いものだと知って、この心を城郭のように(堅固に)安立して、智慧の武器をもって、悪魔と戦え。勝ち得たものを守れ。____しかもそれに執着することなく。
  41)
  ああ、この身はまもなく地上によこたわるであろう。____意識を失い、無用の木片(きぎれ)のように、投げ捨てられて。

***(判定)*************
D

***(コメント)*************
 身体が心を守るもので、心が身体を守るのではないことは、皆さんは簡単に理解できると思います。
 お釈迦様は、悪魔との戦いは、身体での戦いより、心の戦いが重要なことを我々人間に認識してもらいたいのです。その点では、身体への強い執着が邪魔になることもあると、教えてらっしゃいます。
 また、順序として40と41の詩の順番を入れ替えるとスッキリします。
***(書換え詩)************* 
40)+41)
 ああ、この身はまもなく地上によこたわるであろう。守っていた心は抜けてしまい、水瓶の破片のように、無用になる。
 この身体は、この水瓶のように脆いものだと知って、身体への執着を離れよ。そして、心を堅固に安立して、智慧の武器をもって、心で悪魔と戦え。勝ち得たものを執着することなく守れ。

詩番号 42、43 

***(元データ)*************
42)
 憎む人が憎む人にたいし、怨む人が怨む人にたいして、どのようなことをしょうとも、邪なことをめざしている心はそれよりもひどいことをする。 

43)
 母も父もその他親族がしてくれるよりもさらに優れたことを、正しく向けられた心がしてくれる。

***(判定)*************
A

***(コメント)*************
なし
***(書換え詩)************* 
42)
 憎む人が憎む人にたいし、怨む人が怨む人にたいして、どのようなことをしょうとも、邪なことをめざしている心はそれよりもひどいことをする。 

43)
 母も父もその他親族がしてくれるよりもさらに優れたことを、正しく向けられた心がしてくれる。