2017年11月20日月曜日

第1, 2章 ひと組ずつ, はげみ 書換え詩一覧 その1

訂正履歴
“真理のことば”の書換え詩一覧その2(第3章、第4章)から、「(32)[26]怠り怠けない生活を楽しく嬉しく実践する人は、堕落するはずはなく、すでに安らぎ(ニルヴァーナ)の近くにいる。」を移す。(180605)


真理のことば 第1章 ひと組ずつ、第2章 はげみ

書換え詩一覧 その1

()は中村元氏の詩番号、 [  ]は残した詩のシリアル番号

第1章 ひと組ずつ

(1)[1]
 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
 もしも、汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。
---車をひく(牛)の足跡に車輪がついてゆくように。
(2)[2]
 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
 もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人に付き従う---影がその身体から離れないように。
(3)[3]
「彼はわれを罵った。彼はわれを害した。彼はわれにうち勝った。彼はわれから強奪した。」という思いを抱く人には、怨みはついに息むことがない。
(4)[4]
「彼はわれを罵った。彼はわれを害した。彼はわれにうち勝った。彼はわれから強奪した。」という思いを抱かない人には、ついに怨みが息む。
(5)[5]
 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。
怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。"
(6)[6]
「我らは、ここにいながら、なおかつ死んでいるもの。」と覚悟をしょう。
 この覚悟を普通の人々は知ってはいない。しかし、この覚悟を実践する人は、常住する争いが、その人にとって鎮(しず)まる。
(7)[7]
 この世のものを浄らかだと思いなして暮らし、(眼などの)感官を抑制せず、食事の節度を知らず、怠り怠ける者は、悪魔にうちひしがれる。−−−弱い樹木が風に倒されるように。
(8)[8]
 この世のものを不浄であると思いなして暮らし、(眼などの)感官をよく抑制し、食事の節度を知り、信念あり、怠り怠けない者は、悪魔にうちひしがれない。−−−岩山が風にゆるがないように。

(9) ~ (10) 削除


(11)[9]
 まことではないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことではないと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実(まこと)に達しない。
(12)[10]

 まことであるものを、まことであると知り、まことではないものを、まことではないと見なす人は、正しい思いにしたがって、ついに真実に達する。
(13)[11]

 屋根を粗雑に葺いてある家には雨が漏れ入るように、心を修養していないならば、色欲が心に侵入する。
(14)[12]

 屋根をよく葺いてある家には雨の漏れ入ることがないように、心をよく修養してあるならば、色欲の侵入することがない。 

(15) ~ (18) 削除

(19)[13]
 たとえ、為(ため)になる事を数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。かれは偽修行(覚醒)者である。 
(20)[14]
 たとえ、為(ため)になる事を少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し、情欲と怒りと迷妄を捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執着することの無い人は、修行(覚醒)者である。   (第1章 終わり)


第2章 不怠惰 

(21)[15]
 怠らないことは、明るく生き生きとした生活に通じる。怠りなまけることは、ゾンビに通じる。
 怠らない人々は明るく生き生きとしている。怠りなまける人々はゾンビのごとくである。
(22)[16]
 このようにはっきりと知って、怠らないことをよく知る人々は、怠らないことを喜び、聖者たちの明るく生き生きした生活を楽しむ。
(23)[17]
 これは(自分の歩んでいる道は)光へ通じる道であるか、絶えず考え、忍耐強く、健やか(合理的)な努力を怠らない。そのような思慮深い人々は、煩悩や穢れが一切消失する。これが無上の幸せである。
(24)[18]
 怠らないことにより心が奮起し、思いつつましく、行いは清く、気をつけて行動し、みずから制し、法(のり)にしたがって生きる人は、名声が高まる。
(25)[19]
 思慮ある人は、怠らないことで得られる自制心と勇気により、克己し(自己の欲望や邪念に打ち勝ち)、激流も押し流すことのできない島(自己の拠り所)を作れ。
(26)[20]
 智慧乏しき愚かな人々は怠り怠ける。しかし、心ある人は、怠らないことを最上の宝として生活をする。

(27)[21]
 怠るな。愛欲と歓楽に親しむな。さらに正しく思念をこらす者は、大いなる楽しみを得る。
(28)[22]
 人は怠惰を退ける修行により、智慧を得て、憂いをなくす。
 山上にいる人が地上の人々を見下ろすように、その人は憂いを持つ他の多くの人々を、自分とは異なると、はっきりと見極める。
(29)[23]
 怠りなまけている人々の中で、たとえ一人でも怠り怠けなければ、その人は、眠っている人々の中で、ひとりよく目覚めている思慮ある人となる。
 疾く走る馬が、足のろの馬を抜いて駆けるようなものである。
(30)[24]
 怠り怠けない事は常に褒め称えられる。放逸なることは常に非難される。
 マガヴァー(インドラ神)は、怠り怠けなかったので、神々の中での最高の者となった。
(31)[25]
 怠り怠けない生活を楽しく嬉しく実践する人は、微細なものでも粗大なものでも心のわずらいを、焼きつくしながら生活する。   
(32)[26]
 怠り怠けない生活を楽しく嬉しく実践する人は、堕落するはずはなく、すでに安らぎ(ニルヴァーナ)の近くにいる。
(第2章 終わり)