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・詩209を第16章 愛するもの(解散)から冒頭へ移動。(20181022)
第9章 悪
書き直しが非常に少ない章です。
詩番号 209
***(元データ)*************
209)
道に違(タゴ)うたことになじみ、道に順(シタガ)ったことにいそしまず、目的を捨てて快いことだけを取る人は、みずからの道に沿って進む者を羨むに至るであろう。
***(判定)*************
A
***(コメント)*************
209)第16章 愛するもの(解散)から移動。
***(書換え詩)*************
209)書換え不要
詩番号 116)〜125)
***(元データ)*************116)善をなすのを急げ。悪から心を退けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事をたのしむ。
117)人がもしも悪いことをしたならば、それを繰り返すな。悪事を心がけるな。悪がつみ重なるのは苦しみである。
118)人がもし善いことをしたならば、それを繰り返せ。善いことを心がけよ。善いことがつみ重なるのは楽しみである。
119)まだ悪い報いが熟さないあいは、悪人でも幸運に遭うことがある。しかし悪の報いが熟したときは、悪人はわざわいに遭う。
120)まだ善い報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遭うことがある。しかし善の果報が熟したときは、善人は幸福(サイワイ)に遭う。
121)「その報いはわたしには来ないであろう」とおもって、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがてわざわいにみたされる。
122)「その報いはわたしには来ないであろう」とおもって、善を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされる。気をつけている人は、水を少しずつでも集めるように善を積むならば、やがて福徳にみたされる。
123)同行する仲間が少ないのに多くの財を運ばねばならぬ商人が、危険な道を避けるように、また生きたいとねがう人が毒を避けるように、ひとはもろもろの悪を避けよ。
124)もしも手に傷が無いならば、その人は手で毒をとり去ることもできるであろう。傷の無い人に、毒は及ばない。悪をなさない人には、悪の及ぶことがない。
125)汚れの無い人、清くて咎のない人をそこなう者がいるならば、そのわざわいは、かえってその浅はかな人に至る。風にさからって細かい塵を投げると、(その人にもどって来る)ように。
***(判定)*************
116)〜125)全て A
***(コメント)*************
漢字への変換、現代語風に直します。
***(書換え詩)*************
116)善をなすのを急げ。悪から心を退けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事をたのしむ。
117)人がもしも悪いことをしたならば、それを繰り返すな。悪事を心がけるな。悪が積み重なるのは苦しみである。
118)人がもし善いことをしたならば、それを繰り返せ。善いことを心がけよ。善いことが積み重なるのは楽しみである。
119)まだ悪い報いが熟さない間は、悪人でも幸運に遭うことがある。しかし悪の報いが熟したときは、悪人は災いに遭う。
120)まだ善い報いが熟さない間は、善人でもわざわいに遭うことがある。しかし善の果報が熟したときは、善人は幸福(サイワイ)に遭う。
121)「その報いは私には来ないであろう」と思って、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴り落ちるならば、水瓶でも満たされるのである。愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがて災いに満たされる。
122)「その報いはわたしには来ないであろう」と思って、善を軽んずるな。水が一滴ずつ滴り落ちるならば、水瓶でも満たされる。気をつけている人は、水を少しずつでも集めるように善を積むならば、やがて福徳に満たされる。
123)同行する仲間が少ないのに多くの財を運ばねばならぬ商人が、危険な道を避けるように、また生きたいと願う人が毒を避けるように、人はもろもろの悪を避けよ。
124)もしも手に傷が無いならば、その人は手で毒をとり去ることもできるであろう。傷の無い人に、毒は及ばない。悪をなさない人には、悪の及ぶことがない。
125)汚れの無い人、清くて咎のない人をそこなう者がいるならば、その災いは、かえってその浅はかな人に至る。風にさからって細かい塵を投げると、(その人にもどって来る)ように。
詩番号 126
***(元データ)*************126)或る人々は[人の]胎に宿り、悪をなした者どもは地獄に墜ち、行ないの良い人々は天におもむき、汚れの無い人々は全き安らぎに入る。
***(判定)*************
D
***(コメント)*************
お釈迦様は、地獄という言葉をお使いになったとは、私は考えにくいと思っています。それぞれの魂の格によって、同種・同レベルが集まれば、居心地が良いはずですから、その魂は地獄とは感じないとなると、地獄という定義すら成り立たなくなってしまうというのが、日月神示の教えです。なんだか天才バカボンのパパのようですが、正しいとは感じます(証明なんてできませんが。)。
この書き換え作業では、地獄という言葉を定義しない、あの世はどの魂にとっても天国という立場で、真理のことばを読み進めます。
***(書換え詩)*************
126)汚れの無い人々は全き安らぎに入り輪廻を離れ、それ以外の人々は輪廻にとどまり、行いにより死後に赴く場所が決まる。
詩番号 127)、128)
***(元データ)*************127)大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の奥深いところに入っても、およそ世界のどこにいても、悪業から脱れることのできる場所は無い。
128)大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の洞窟に入っても、およそ世界のどこにいても、死の脅威のない場所は無い。
***(判定)*************
両方とも、A
***(コメント)*************
なし
***(書換え詩)*************
127)、128)書き換え不要
(第9章 悪 終わり)