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書換え詩一覧 その9
第8章 千という数にちなんで、第21章 様々なこと、第23章 象
第8章 千という数にちなんで
(100)[226]無益な語句を千たび語るよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞く方が優れている。
(101)[227]
無益な語句よりなる詩が千もあっても、聞いて心の静まる詩を一つ聞く方が優れている。
(102)[228]
無益な語句よりなる詩を百も唱えるよりも、聞いて心の静まる詩を一つ聞く方が優れている。
(103+104+105)[229]
常に行ないをつつしみ、自己を正しく治めて、自己にうち克つ事はよい。 自己に克った者の勝利を敗北に転ずる事は、神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天もなす事ができない。唯だ一つの自己に克つ者は勝利者となる。
この勝利者が、他の愚かな人々に勝ち、戦場において百万人の愚かな者どもを打ち破れば、その人は最上の勝利者となる。
(106+107)[230]
百年の間、月々千回ずつ祭祀(マツリ)を営む人や、林の中で祭祀(マツリ)の火につかえる人がいる。もし、それらの人々が自己を修養した人(ブッダや真人)を尊び供養するなら、たとえその供養がつかの間であっても、ただ、百年祭祀を営むだけよりも優れている。自己を修養した人を尊び供養することは優れている。
(108)[231]
功徳を得ようとして、人がこの世で、一年間、神をまつり、犠牲(イキニエ)をささげ、あるいは火にささげ物をしても、その全部をあわせても、行ないの正しい人々を尊ぶ真正なる祭りの方が、はるかに優れている。
(109)[232]
常に、人が自己を修養した人(ブッダや真人)に敬礼を守れば、魂の寿命と美しさと楽しみと力が増大する。
(110)[233]
素行が悪く、心が乱れていて百年生きるよりは、徳行あり思い静かな人が一日生きる方が優れている。
(111)[234]
愚かに迷い、心の乱れている人が百年生きるよりは、知慧あり思い静かな人が一日生きる方が優れている。
(112)[235]
怠りなまけて、気力もなく百年生きるよりは、堅固につとめ励んで一日生きる方が優れている。
(113)[236]
物事が興りまた消え失せる因果を見極めずに百年生きるよりも、この因果を見極めて一日生きる事の方が優れている。
(114)[237]
魂の不死の境地を理解せず百年生きるよりも、これを理解して、一日生きる事の方が優れている。
(115)[238]
最上の真理を見ないで百年生きるよりも、最上の真理を見て一日生きる方が優れている。
(第8章 千という数にちなんで 終わり)
第21章 さまざまなこと
(290)[239]つまらぬ快楽を捨てることによって、広大なる楽しみを見ることができるのなら、賢い人は広大な楽しみをのぞんで、つまらぬ快楽を捨てよ。
(291)[240]
他人を苦しめることによって自分の快楽を求める人は愚かな人であって、怨みの絆にまつわれて、怨みから免れることができない。
(292)[241]
なすべきことを、なおざりにし、なすべからざることをなす、遊びたわむれ放逸なる愚かな者どもには、汚れが増す。
(293)[242]
常に身体(の本性)を思い続けて、為すべからざることを為さず、為すべきことを常に為して、心がけて、自ら気をつけている賢い人々には、もろもろの汚れがなくなる。
(294)、(295) 削除
(296)〜(301) 第25章甲 仏弟子の最後に振り分けます。[260]〜[265]
(302)[243]
在家の生活は困難であり、家に住むのも難しい。なぜならば、心を同じくしない人々と共に住むのは難しいからである。
出家の生活は困難であり、それを楽しむことは難しい。出家者が策を弄して利益を求めると、苦しみに遇う。だから、出家者は、策を弄して利益を求めてはいけない。
[217](353) 第16章 愛するものから詩303の前に移動
徳行と見識とをそなえ、法にしたがって生き、真実を語り、自分のなすべきことを行なう人は、人々から愛される。信仰あり、徳行そなわり、名声と繁栄を受けている人は、いかなる地方におもむこうとも、そこで尊ばれる。
(304)[245]
善き人々は遠くにいても輝く、──雪を頂く高山のように。善からぬ人々は近くにいても見えない、──夜陰に放たれた矢のように。
(305)[246]
ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身を治めて、林のなかでひとりでも楽しめ。
(第21章 さまざまなこと 終わり)
第23章 象
(320)[247]戦場の象が、射られた矢にあたっても堪え忍ぶように、我らは人のそしりを忍ぼう。多くの人は実に性質(たち)が悪いからである。
(321)[248]
世のそしりを忍び、自らをおさめた者は、人々の中にあっても最上の者となる。馴らされた象が、戦場にも連れて行かれ、王の乗りものとなり、最上の象となるように。
(322+323)[249]
馴らされた騾馬は良い。インダス河のほとりの血統よき馬も良い。クンジャラという名の大きな象も良い。しかし自らの心を整えた人は、これらよりもすぐれている。なぜならば、これらの乗物(身分、血統や財)によって、未到の地(ニルヴァーナ)に行くことはできない。そこへは、慎しみある人が、おのれ自らの心を良く治めておもむく。
(324)[250]
「財を守る者」という名の王は、発情期にこめかみから液汁をしたたらせて強暴になっているときの象のように、いかんとも制し難い。財を捕らえられると、一口の食物も食べない象のように、命よりも財を慕う。
(325)[251]
大食いをして、眠りをこのみ、ころげまわって寝て、まどろんでいる愚鈍な人は、大きな豚のように糧を食べて肥り、くりかえし母胎に入って(迷いの生存をつづける)。
(326)[252]
この心は、以前には、望むがままに、欲するがままに、快きがままに、さすらっていた。今やわたくしはその心をすっかり抑制しよう、_象使いが鉤をもって、発情期に狂う象を全くおさえつけるように。
(327)[253]
つとめはげむのを楽しめ。おのれの心を護れ。自己を難処から救い出せ。_泥沼に落ち込んだ象のように。
(328)[254]
もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念いをおちつけて、ともに歩め。
(329)[255]
しかし、もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め。
(330)[256]
愚かな者を道伴れとするな。独りで行くほうがよい。孤独(ひとり)で歩め。悪いことをするな。求めるところは少なくあれ。___林の中にいる象のように。
(331)[257]
(大きかろうとも、小さかろうとも)、どんなことにでも満足するのは楽しい。善いことをしておけば、命の終るときに楽しい。(悪いことをしなかったので)、あらゆる苦しみ(の報い)を除くことは楽しい。
(332)[258]
世に母を敬うことは楽しい。また父を敬うことは楽しい。世に真人や覚醒者を敬うことは楽しい。天下に正しい道があるのは楽しい。
(333)[259]
老いた日に至るまで戒しめをたもつことは楽しい。信仰が確立していることは楽しい。明らかな知慧を体得することは楽しい。もろもろの悪事をなさないことは楽しい。
シリアル詩番号は265まで使用
(第23章 象 終わり)