2018年9月13日木曜日

第15章 楽しみ (元データと判定・解釈・考察と書き換え)

訂正履歴
・205)のコメントにおいて、真実と真理の関係の説明を“注ですが、仏教において真実は真理と同じことを表します。”という文章で追加しました。赤字で示します。(20180918)
詩219)220)を第16章 愛するものから 詩199の後に移動。(20181022)


第15章 楽しみ

 ひらがな表記が多いので、漢字の表記に改めた部分がありますが、いちいち言及しません。

詩番号 197〜199

***(元データ)*************
197)怨みをいだいている人々の間にあって怨むこと無く、我らは大いに楽しく生きよう。怨みをもっている人々のにあって怨むこと無く、我らは暮らしていこう。

198)悩める人々のにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人々のにあって、悩み無く暮そう。

199)貪っている人々のにあって、患い無く、大いに楽しく生きよう。貪っている人々のにあって、貪らないで暮らそう。

***(判定)*************
197)〜199)すべてA

***(コメント)*************
197)〜199)
 “恨み”、“悩み”、“貪り”は、すべて煩悩で、人を堕落させる種ですので、これらに囚われることを否定します。だからと言って、“恨み”、“悩み”、“貪り”が全くなくなればいいというわけではなく、これらがきっかけで、どうやってこれらからの囚われから離れるかを実践することによって、人間の魂が成長するのです。ですから、これらは必ず存在する状況で、最終的には、我々人間がどのように感じることが、到達するべき正解の境地なのかを教えてくださっています。

***(書換え詩)*************
197)〜199)書き換え不要


詩番号 219、220
***(元データ)*************
219)
 久しく旅に出ていた人が遠方から無事に帰って来たならば、親戚・友人・親友たちは彼が帰って来たのを祝う。

220)
 そのように善いことをしてこの世からあの世に行った人を善業が迎え受ける。──親族が愛する人が帰って来たのを迎え受けるように。
***(判定)*************
219)A
220)A

***(コメント)*************
詩219)220)を第16章 愛するものから移動。
***(書換え詩)*************
219)書換え不要
220)書換え不要



詩番号 200、201

***(元データ)*************
200)われわれは一物をも所有していない。大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食(は)む者となろう。

201)勝利からは怨みが起る。敗れた人は苦しんで臥す。勝敗をすてて、やすらぎに帰した人は、安らかに臥す。

***(判定)*************
200)削除
201)削除

***(コメント)*************
200)
 人間が神になろうとする、この無理な請願によって、良識ある人間は苦しんでしまうのですが、神様と人間は 土台、 別なのです。神様は、一物も所有してなくても死にませんが、人間は死んでしまいます。食べ物だって、服だって、住まいだって、それらを手に入れるためのお金だって、人間には必要であり、神様には必要ないのです。ですから、この詩は、何についての教えかわからないので削除します。

 では、神様は何も必要ないかと言えば、そんなことはないのです。人間からの正しい(畏敬の)念が必要なのです。そして、邪魔なものは、人間から発せられる邪悪な念です。
 ですから、お賽銭にしても、自分の収入に見合った額をすることが大切です。神様は、人間の念を受け取るのであって、お金を受け取るのではなく、金額が指標なだけです。本当に神様が好きで感謝していたらそんなしょぼい額にはならないでしょうし、TPOもわきまえるということです。
 次に、私の大好きな、新約聖書のやもめの献金を引用(https://www.shining-hill.org/2017/09/12/今週の説教-やもめの献金-新約聖書-ルカによる福音書20章45節から21章4節/ さんより)します。

ルカによる福音書20章45節から21章4節

45民衆が皆聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた。46「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。47そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。(本当にその通りです!お見事すぎます!たとえこんな立派なことばが浮かんできても怖くて言えないです。)このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」


1イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。2そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、3言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。4あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」


201)

  勝負は、避けられない時には挑むしかないのです。勝負があった場合、総合的な勝ち負けよりも、結果を多面的に考察して、各面においての勝ち負けが大切です。必要な勝負を逃げるのは、最も避けなくてはならないでしょう。この詩は、勝負を否定するような詩と捉えられるので、仏魔の常套手段ということで、削除します。

 補足ですが、創価学会の方が書いたブログ 「師匠が「仏法は勝負」と言われているのに、なぜそれを否定するのか?」も、この詩に疑問を投げかけている記事です。私が毎日読むブログ主さんのところで知ったのですが、創価学会は日蓮宗に戦いを挑んで破門になった一派だとのことで、確かに、戦いの歴史なんでしょうね。私も、同じ立場だったら、同じように小暴れしていたことだと思います。一生懸命暴れても、小暴れにしかならないですが
 ちなみに、私は創価学会とは関係ないです。でも、めずらしく信者第一の教団ではある感じはしています。実は、昔、実名で誤って創価関係者のブログを頻繁に利用していたことがあるのですが、実名もNGだよって、何となく、伝えてくれたり。親切に追い払ってくださいましたよね。その後、「師匠に実名は避けよ!」と言われて、安心してハンドルネームを使っています。ただ、あまりひどい事書かないように気をつけているつもりではあります。

***(書換え詩)*************
200)、201)削除



詩番号 202〜204

***(元データ)*************
202)
 愛欲に等しい火は存在しない。ばくちに負けるとしても、増悪に等しい不運は存在しない。
 このかりそめの身に等しい苦しみは存在しない。安らぎにまさる楽しみは存在しない。

203)
 飢えは最大の病いであり、形成せられる存在(わが身)は最もひどい苦しみである。このことわりをあるがままに知ったならば、ニルヴァーナという最上の楽しみがある。

204)健康は最高の利得であり、満足は最上の宝であり、信頼は最高の知己であり、ニルヴァーナは最上の楽しみである。
***(判定)*************
202)〜204)全てA

***(コメント)*************
202)、203)なし

204)「知己」と「ニルヴァーナは最上の楽しみである。」を、それぞれ、片山一良さんの訳「親族」、「ニルヴァーナは最上の安楽である。」としました(https://76263383.at.webry.info/201004/article_6.html さん参照)

***(書換え詩)*************
202)書き換え不要

203)書き換え不要

204)健康は最高の利得であり、満足は最上の宝であり、信頼は最高の親族であり、ニルヴァーナは最上の安楽である。




詩番号 205

***(元データ)*************
205)孤独(ひとりい)の味、心の安らぎの味をあじわったならば、恐れも無く、罪過も無くなる、___真理の味をあじわいながら。
***(判定)*************
205)D

***(コメント)*************
205)
 多分、詩の構成順番が狂わされているのだと思います。“ブッダのことば”の詩182)で、 「この世では正しい教え(信仰)が人間の最上の富である。徳行に篤いことは安楽をもたらす。実に真実が味の中で美味である。知慧によって生きるのが最高の生活であるという」と謳われています。真理の味が美味であるのです。注ですが、仏教において真実は真理と同じことを表します。
 また、孤独の味と心の安らぎを味わうという行為は禅定ですから、真理の味を常に味わって、孤独の味と心の安らぎを味わう禅定を繰り返すことによって、その人の恐れや罪過(悪いカルマ)も次第に消えていくということなのでしょう。

***(書換え詩)*************
205)常に真理の味を味わっているならば、さらに重ねて、孤独の味と心の安らいを味わう禅定を繰り返せば、恐れも罪過もなくなっていく。



詩番号 206、207

***(元データ)*************
206)もろもろの聖者に会うのは善いことである。かれらと共に住むのはつねに楽しい。愚かなる者どもに会わないならば、心はつねに楽しいであろう。

207)愚人とともに歩む人は長い道のりにわたって憂いがある。愚人と共に住むのは、つねにつらいことである。_仇敵とともに住むように。心ある人と共に住むのは楽しい。_親族に出会うように。

***(判定)*************
206)D

207)A

***(コメント)*************
206)聖者を賢い人と書き換えます。これにより、愚かな人と対応が取れるようになります。

207)心ある人は賢い人と置き換えます。
***(書換え詩)*************
206)もろもろの賢い人に会うのは善いことである。かれらと共に住むのは常に楽しい。愚かなる者どもに会わないならば、心は常に楽しいであろう。

207)愚人とともに歩む人は長い道のりにわたって憂いがある。愚人と共に住むのは、常に辛いことである。_仇敵と共に住むように。賢い人と共に住むのは楽しい。_親族に出会うように。



詩番号 208

***(元データ)*************
208)よく気をつけていて、明らかに知慧あり、学ぶところ多く、忍耐づよく、戒めをまもる、そのような立派な聖者・善き人、英知ある人に親しめよ。_月がもろもろの星の進む道にしたがうように。


***(判定)*************
208)B

***(コメント)*************
208)
 聖者・善き人、英知ある人を、真人、ブッダと置き換えましょう。
 守るべき戒めは、真理を体得するために、賢い人たち(人間)のためにあるものと、私は捉えますので、真人やブッダには必要ないです。真人やブッダは真理(正しい道)を護ってくださっていると考えているので、戒めを真理、まもる」を「護る」と書き換えます。

 「月がもろもろの星の進む道にしたがうように」ですが、月を観察すると、地球から一番近いし、28日周期で地球を一周するだけのことはあって、遥か彼方の星たちと運行が違うのです。もちろん、惑星の火星や金星も同じように、他の多くの遠い星たちとは運行が異なります。科学的に根拠がわからないので、この部分は削除します。

***(書換え詩)*************
208)よく気をつけていて、明らかに知慧あり、学ぶところ多く、忍耐づよく、真理を護る、そのような立派な真人・ブッダに親しめよ。


(第15章 楽しみ 終わり)

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