2018年5月2日水曜日

「悟りのよすが」、「八正道」、「五根」について

訂正履歴
 まとめの章に前田多喜夫氏のツイートを載せ、文章を足しました(黄色いマーカー部分)。(180611)

 “賢い人”(https://newbuddhawords.blogspot.jp/2018/03/blog-post.html)では、「悟りのよすが」と八正道について言及致しましたが、その当時は、あれ以上の考察を進めることができませんでした。しかし、私の中では、今後の課題でありました。
 仏教で、悟りを得るための手法の教えでは、もう一つ五根と言われる有名なものがあります。この機会に3つの教えを観察しましょう。
 また、どの教えも、出発点は自分が愚かであると知るところから始まると思います。それをどう改善するかを真剣に考え出した時に、正しい教えを求めるのだと思います。

1、「悟りのよすが」

“賢い人”では、「悟りのよすが」は、
(1) 択法:教えの中から真実なるものを選び取り偽りのものを捨てること
(2) 精進:一心に努力すること
(3) 喜:真実の教えを実行する喜びに住すること
(4) 軽安(きょうあん):心身を軽やかに快適にすること
(5) 捨:対象への捉われを捨てること
(6) 定:心を集中して乱さなこと
(7) 念:おも(念)いを平らかにすること
と、“真理のことば”での中村氏の注釈をご紹介しました。

 これについて、もう少し考察しましょう。
まず、7項目すべてが同等であるかと考えたところ、(3) 喜、(4) 軽安(きょうあん)、(5) 捨は、(2)精進において必要な教えではないかという結論に至りました。

(6) 定についても、かなり曖昧なので、言葉を付け足して書き直せば、“整った心を集中させる。”ということでしょう。八正道を勉強してわかったのですが、集中させる対象は、天命でしょう。定は、禅定、瞑想ですから、瞑想しなさいと言ってらっしゃるのです。しかし、(1)~(7)の順番は、進化の順番で書かれるべきですが、(7)念がクリアできないと、(6)定が行えないのです。つまり、順番を(6)念、(7)定としなくてはなりません。ちなみに、後述の八正道や五根の順番がそうなっています。

(7) 念:おも(念)いを平らかにすることについても、かなりわかりにくかったと反省しています。念という字は、今の心なのです。今の心の状態を平らかにするということです。また、今の心が、自動的に放つ波動が念と捉えても良いでしょう。そして、今の心の状態が念となって、(6)定の禅定で次元を超えて上位の存在と繋がるのです。心が乱れていたならば、乱れている上位の存在とつながってしまうのです。

 ただ、定と念ぐらいになると、両者を繰り返し行って相互に高めるという行程だと思います。定で心の乱れた原因を教えてもらうこともあるでしょう。ですが、原則としては、(6)念、(7)定としたほうが良いと思います。


※ちなみに、いたずらに定(禅定、瞑想)したらというと、悪魔に魅入られて、悪命に意識と心(無意識)を集中させてしまうことになりかねず、とても危険です。瞑想を、思考を停止するリラックス状態程度で使用する分には構いませんが、本当の瞑想(禅定)は誰にでもできるものではない、そこからいたずらに情報を得ようというということは危険です。まあ、中坊のこっくりさんのようなものですね。

2、「八正道

八正道は、
(1)正見、(2)正語、(3)正業、(4)正命、(5)正精進、(6)正念、(7)正思惟、(8)正定
から成ります。各項目の内容は、4、まとめの図を参照してください。こちらも、書いてある順番通りに修めていくと考えられます。

 正精進の前に正語、正業があるので、まずは行動様式から改めて形を整えてから正命(天命)を教えてもらい、それを知った上で精進(正精進)しましょう!という行程なのです。つまり、八正道の
(2)正語、(3)正業、(4)正命、(5)正精進
が、悟りのよすがの
(2)精進+(3) 喜、(4) 軽安(きょうあん)、(5) 捨
にあたります。

 また、悟りのよすがの“念”については、“正念”にあたるわけですが、私は、これをクリアするために“正思惟”(正しく物事の根本を意識(脳)と無意識(心)で考える。)という教えがあると考えています。したがって、“正思惟”は重要であると思いますが、補助的で、他の7つと同等とは考えません。
 (8)正定は、悟りのよすがの(6)定と同様です。

3、五根

 悟りを得るための5つの力とされ、(1)信、(2)精進、(3)念、(4)定、(5)慧とされています。
 (1)信は、正しいものを信じるということなので、択法や正見と同じです。(5)慧ですが、これは定(禅定)で得られる上位からの情報(知慧)です。これが湧いてくる人は、解脱した人(悟った人)というのが一般的な定義ですが、その線引きが多少違うのが、五根の教えだと思います。
 

4、まとめ

 それぞれの教えの項目と、その進化の度合いを下図にまとめました。これは、あくまでも私の見解の部分もありますが、参考になさってください。



  念、定、慧については、相互作用が強く、分離が不可能で、それぞれ必要な時にこの3つの項目のいずれかが現れて実行されるという感覚です。
 また、念、定、慧をセットにして、瞑想、禅定、座禅と称しているのでしょう。少なくとも私はそう考えています。

 でも、経験の少ない人には、智慧を得るまではいかなくとも、念、定にチャレンジする必要はあると思います。こうした段階での瞑想、禅定、座禅にとても良いツイートがあったので、ご紹介します。





 実際のところ、悟りのよすが、八正道、五根の3つの教えの体系は、出家的立場の人たちに魂の向上のシステムを教授するために用意されたのではないかと思います。
 出家的立場の人たちにとっては、自分たちへの教えと同時に、魂の向上の教えを請われた時にお釈迦様が残してくださった指導要領みたいなものではないかとも思います。
 在家には、基本的には、怠らずに励む努め励む学び努めるという教えをお釈迦様が提示なさったであろうし、そこから先の議論を修行僧と在家の人たちが進めるためのものが、悟りのよすがや八正道や五根だったのでしょう。

 最後にですが、修行僧と言えば、出家者での役職名的なものを私は指しますが、在家も出家も皆、修行者として三次元の世界に来ているので、この世の人たちは、皆、修行者とします。