詩番号 G050 (F052, C, O174, OS13) 、
G051 (F053, C, O175, OS13) [[ @ GS 5 世の中 ]]
元詩(O番号)→ 一次変更詩(F番号)→ 最新変更(G番号)の順で変更しています。
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最新変更(G050)
この世の中は暗黒である。ここではっきりと理(コトワリ)の実相を見分ける人は少ない。 — 網から脱れた鳥が少ないように。
最新変更(G050)
この世の中は暗黒である。ここではっきりと理(コトワリ)の実相を見分ける人は少ない。 — 網から脱れた鳥が少ないように。
最新変更(G051)
渡鳥は日中に往来を繰り返し、通力によって動く者は虚空の道を回り、正しい心を持つ真人は悪魔とその軍勢にうち勝って 因縁からむこの世から放(はな)れ ブッダとなる。
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元詩(O174)
この世の中は暗黒である。ここではっきりと (ことわりを) 見分ける人は少ない。網から脱れた鳥のように、天に至る人は少ない。
元詩 (O175)
白鳥は太陽の道を行き、神通力による者は虚空(そら)を行き、心ある人々は、悪魔とその軍勢にうち勝って世界から連れ去られる。
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一次変更詩(F052)
この世の中は暗黒である。ここではっきりと理(コトワリ)と実相を見分ける人は少ない。しかし、これらを見分けたならば、悪魔とその軍勢にうち勝つ。あたかも、網から脱れた鳥のように。
白鳥は太陽の道を行き、神通力による者は虚空(そら)を行き、心ある人々は、悪魔とその軍勢にうち勝って世界から連れ去られる。
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一次変更詩(F052)
この世の中は暗黒である。ここではっきりと理(コトワリ)と実相を見分ける人は少ない。しかし、これらを見分けたならば、悪魔とその軍勢にうち勝つ。あたかも、網から脱れた鳥のように。
一次変更詩(F053)
網から脱れた鳥のような真人は、あるものは白鳥のように太陽の道を行き、あるものは神通により虚空を行き、あるものはブッダとなる。
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(コメント)
網から脱れた鳥のような真人は、あるものは白鳥のように太陽の道を行き、あるものは神通により虚空を行き、あるものはブッダとなる。
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(コメント)
- この2詩の難解な部分が、鳥の部分と神通でした。
- 「鳥」はそのまま「普通の人や大衆」として比喩されていると思われます。
- この詩の ver. 1 のコメントは頓珍漢でした。あらためて訂正してお詫びします。前回は一二三神示を引用しましたが、今回は取り下げます。
- 荻原雲来氏訳の「法句経」では G051 詩の「白鳥」は「鵝鳥」と書かれています。これはガチョウではなく渡鳥の類とのことです。比喩としては、善悪が完全に正しく判断できない多くの普通の人間で、いつも 同じ失敗を繰り返して、この世の中を彷徨っているという感じです。
- 「神通」を「通力」と変更しました。これはいわゆる超常的力(魔法)のことで、それを駆使できる存在(人間じゃない存在も多い) が、虚空道を進んでいるとしました。
- 「虚空」は、「むなしい」という意味ですが、虚は「艮(うしとら)の金神様の偉大な」という意味で、空は真理となりますので、偉 大な真理という意味が裏にあります。「虚空の道」を、悪い目的のために使う存在は「虚しい道を進む者」であり、良い目的のために 使う存在は「偉大な道を進む者」となるのだと思われます。二面的な意味があるのだと思いますが、なんといっても人間の領域を超えているので、皆様も色々と考えてみてください
- 「心ある人」は、「正しい心を持つ真人」とします。
- 「世界から連れ去られる」は「ブッダになる」としましたが、今回は「因縁からみつく世界から放れブッダとなる」としました。