2020年10月1日木曜日

付録1 魂と脳と守護霊 最終版レプレイス

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1 はじめに

2020/9/29

 これは、https://newbuddhawords.blogspot.com/2018/11/blog-post.html に載せた記事のリプレイス版であり、同時に本書の付録1のリプレイス版です。過去の内容が知りたい場合はこちらにアクセスしてください。しかし、過去の内容も今回は含んでいるので、あまり必要ではないと思います。

 本書では、心について大幅な変更をしました。前回の定義(1);心=顕在意識+潜在意識は、新定義 2 とし、もう一方の 魂の定義(1);魂(=自己)=心 (=自分)+ DNA 1 + DNA 2 は撤回し、一霊四魂を取り入れて、新定義(1)を構築しました。これに伴い、「再考 真理のことば」(http://tsukiyonoryu.seesaa.net/article/467312289.html)の“§FS 1 心”と“FS 2 自己”、および“付録2”も変更する予定です。今後、「再考 真理のことばリプレイス版」をPDFでアップする予定です。

 変更の概要は、魂は心を構成するものとし、前回の“ 魂は心より上に位置する ”という解釈を逆転させた定義になったことです。この変更により、脳機能を 多少 拡張しましたが、全体的に変更点は少なく、話がすっきりと流れて読みやすくなりました。

2019/2/19

 私がマシューさんに、「人間の魂と身体、また、守護霊と言われる方との関係をはっきりとさせてみてはどうですか?自分と自分の先祖のことについても、あなたは先祖と自分を切り離して考えているところがありますが、それは甚大な誤解なのですよ。」と言われて、2017年6月19日現在ですでに一年以上が経っていました。私自身も、自分と先祖、身体を持たないバックアップしている存在との関係には強い興味を持っていました。そこで、二つの命題

 人間の魂と心とは何か?

 人間の身体と心の繋がりはあるのか、否、あるのは確実ですが、どういう関係なのか?

を立てました。壮大な命題であると同時に、現在の人間の科学では、残念ながら、証明は不可能です。したがって、この記事も科学的バックアップは受けられないでしょう。でも、腑に落ちる説というものを、私の審神者を使った上で、情報を集め、考えをまとめてみたいと思った次第です。なせならば、今後生きていく私たちが有意義な人生を送るための情報になると確信したからです。さらに、重大な病気で苦しんでいる方々にとっても有益ではないかと考えたのです。

 でも、半年くらい思索を続けた2017年9月あたりに、「とても大変な課題に手を出してしまった。」と、かなり後悔した時期がありました。審神者を行い、ネットで色々調べても、誰も答えが出せないのを良い事に、似て非なるような説が飛び交う世界が広がっているではありませんか。悪魔の広めている情報を拾い集めながら正しいものを考えるという作業は、審神者を使う私にとっては、神経に与えるダメージがとても強いのです。「なかったことに。」なんて思ったこともありますが、マシューさんはきっとアメリカ上空でこのネットを見ていると思うと…。「まだ宿題、終わってないよ!」って、お声が聞こえる私でした。

 しかし、当時、並行して「真理のことば」の読み直しを始めました。その時に、達成するためには、変じ改めるべし、いろいろな情報(山)を重ね合わせて、正しいもの(お釈迦様の教えとマシューさんからの宿題の解)との出会いをする時期なのだというご託宣が降りてきました。

「真理のことば」を変じ改めるためには、どうしても、マシューさんからの宿題の解が必要であることに気づき、これらが別立てで存在しているのではなく、同じ源から発生している事を理解しました。上記の命題の解を考えるにあたって、情報を細かく調べて吟味し、熟考しますが、核は審神者の情報になりました。

 また、私の書いた「魂と脳と守護霊」シリーズの記事は、過去に訂正がたくさん入っていて、混乱した状態でした。この状態にピリオドを打つために、最終版記事を書きますが、この記事は「再考真理のことば」の付録1としても使用します。


2 人間の霊的システム

2-1  一霊四魂

 心とは、魂が凝(こ)っているものという意味から来ているそうです。そして魂は、“鬼の云うことが聞けるもの”で、ここで“云う”は、“言う”と異なり、単なる伝聞を、また、“鬼”とは、“隠れた存在”を意味するのだそうです。実は、神道ではオニは神様でもあり邪気でもあって、われわれが思い浮かべる邪鬼と同時に正反対の善神的な存在も指すようです。つまり、魂とは、神様の御託宣もしくは邪鬼(悪魔)のささやきを我々に届けてくれる存在と言うことです。

 魂が凝っている心という捉え方は、神道の一霊四魂という教えに非常に似ています。私は江戸時代後期の比較的新しい教えだと思っていましたが、日本書紀の大国主尊と少彦名尊の物語にも出てくる古来からの日本の叡智とされているようです。


 一霊四魂についての説明は、個性認識学(https://4soul.jp/ichireishikon/  )さんからの引用をさせていただきます。


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 心は、四つの魂とそれを統御する一つの霊から成り立っています。四つとは、荒魂、和魂、幸魂、奇魂であり、一霊は直霊(直毘)という神様の名前がついています。荒魂の働きは「勇」で前進する力、和魂の働きは「親」で調和する力、幸魂の働きは「愛」で愛し育てる力、奇魂の働きは智で真理を探究する力です。…

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 補足すると、霊界物語では、直霊(なおい)は直日(なおい)と書かれています。私は、以前は一霊四魂を荒唐無稽かなと感じたので この記事でも参考引用はしませんでしたが、時間が経った現在では、経験として素晴らしい概念(事実!?)だと思い至り、本書で取り入れることとしました。

 

図1一霊四魂

2-2守護神 

 前回は、本守護神様+正副守護神様については、資料に載せた「ひふみ神示冬の巻第1帖」を参考にしていました。その後、霊界物語を読み初め、「人間の霊的システム」について、もう少しはっきりとそのあらましが掴め始めましたので、守護神についても、新たな情報を付加して書き改めました。

 まず、本守護神様と正守護神様と副守護神様について、参考にした霊界物語の記述を下記に列挙します。

  1. 直日の御霊は本守護神である。(霊界物語 第6巻第6篇 百舌鳥の囁第36章 三五教より)
  1. 本守護神と正守護神と副守護神は、自分が宿っている人間を見ることがない。なぜならば、それらの知覚世界は精霊界であり、この世の中は見れなくなっている。(霊界物語 第47巻 第 篇 天国巡覧 第12章 天界行より)
  1. 人間の本体である精霊である三つの守護神は人間の体の中に入っていて、相共に居ることは少しも知らない。(霊界物語 第47巻 第3篇 天国巡覧  第12章 天界行より
  1. 本守護神は天霊、正守護神は善霊、副守護神は悪霊である。(霊界物語 第47巻 第3篇 天国巡覧  第12章 天界行より)
  1. 副守護神は人間の記憶・想念の中にある悪しき事物の間に潜入する。(霊界物語 第47巻 第3篇 天国巡覧  第12章 天界行より)
  1. 正守護神は善き事物の間に侵入する。(霊界物語 第47巻 第3篇 天国巡覧  第12章 天界行より)
  1. 守護神たちは、人間の記憶や想念を自分たちのものだとしんじている。(霊界物語 第47巻 第3篇 天国巡覧  第12章 天界行より)
  1. 欲は四魂の働きの遂行から生じる。                    


 (3)より、守護神と言われるものは 精霊と言われる存在で、実はその宿主である人間を認知しておらず、心で共有されている記憶や想念を認識しているようです。日月神示では本守護神様も正守護神様も、実は、それぞれ神界と霊界の自分であると説かれています。このことから、“真理のことば”で、セルフ(自己)と呼ばれるものは、本守護神様(多分、ハイヤーセルフと申し上げて良いと思います。)と正守護神様(セルフ)だと考えています。

 

 2-3 心

 人間の心を作っているのは、ベースとして一霊四魂であるという説を前章で記しました。ただ 2-5で後述しますが、本守護神様は、少し離れて 心や人間本体を見守っている様に私は感じています。心には正守護神様と副守護神様が(5)や(6)のように潜伏なさっています。つまり、心は


心=(一霊)四魂+正守護神様+副守護神様(新定義1)


となっていると考えられるのです(図2参照)。

 そして、四魂が持っている記憶や想念(欲も含む)を、心でみんなが共有するというシステムのようです。そして、四魂こそが体現された三次元の自分に最も近いのだろうと思います。今、人が問題に直面したと 心が判断した時に、凝り固まった存在(魂 or 精霊)たちが自分のことのように親身になって解決するためのアドバイスをします。その時、一番権限があるのは、理想的には正守護神で、このような時には、善意に根差した常識的な判断がなされます。しかし、ここで副守護神が権限を持ってしまうと、とにかく心から割り出される解決策や対応が悪となって現れます。


 正守護神様が上手に働いている良いスパイラルでは、四魂には滋養が行き渡り、心に新たな善を植え付けることができます。このことを「心を整える」や「心を治める」と表しているのでしょう。これを推し進めることにより、セルフ(自己)である本守護神様や正守護神様が守られ、その力の発動が容易になり 人間から真人(神人)となれるのでしょう。


 本守護神様は、正守護神様が霊界から一段上に上がった神界へ移行できるように指導していらっしゃると同時に、副守護神様が悪魔的振る舞いを悔い改めるように指導していらっしゃるのでしょう。正守護神様が神界に近づいた時に、その人は真人となり、完全に神界に入ってしまえばブッダ(目覚めた人)になるのではないでしょうか。四魂に直接的に働きかけるのは正副守護神様方でしょう。


 反対に悪いスパイラルは四魂を壊していく力があります。それの行き着く先は、心が悪だらけになり四魂が劣化し、副守護神の言いなり、つまり人間が悪魔の容れ物となります。本守護神様は、だいぶ位が高いので悪に引きずり込まれることはない様ですが、酷い場合は正守護神様も道連れにして悪魔にしてしまいます。


2-4 心臓と脳

 脳と心臓についての自分の考察のきっかけは、「資料4 人型図上の指によるエネルギー測定の試行」で、この考察から

  • 脳の働きは、心で割り出した対応方法を三次元に焼き直し身体の各器官に命令し、また、外界の情報を心が理解できる ように翻訳する装置で、コンピューターで言えば CPU にあたる部分
  • 心は心臓にいると主張する資料2は妥当

だと私は考えています。

 ここで、脳を通して心からの情報が認識されうるものを(顕在)意識と言えば、(顕在)意識は主に脳にあると言って良いと思います。また、意識として現れない心(凝った魂;文献1のアートマン)を潜在意識とすれば、心は顕在意識と潜在意識 からなると考えても良いと思います。つまり、

心=顕在意識+潜在意識 (新定義2)

です。(新定義2)は、(新定義1)を否定するものではなく、心の見方を変えて定義を変えただけのことです。顕在意識が 潜在意識の上に出てきたものですが、はっきりと線を引いて分けることは難しいでしょう。(新定義2)に関しては「資料3 中村元氏の心と意に関する記述」も参照してください。

 ただし、脳は必ずしも顕在意識的な状況のみではなく、潜在意識から発せられる情報の翻訳も行っている ようです。不随意筋などが動くのも認識はせず、本能とされるのでしょうが、やはり脳の働きは必要です。また、脳 も 90 %以上の脳細胞が活発に働いていないと言われていますが、これらが心の潜在意識部分からの情報の処理を担っていると考えています。その結果、頭で理解して納得したつもりでも心臓がドクドクすることや、意識を通さずに身体が動く体得 というものが存在するのでしょう。また、顕在的に脳が出した指令があまり妥当ではない時など、それを否定する信号が、意識しないままに、脳から身体に送られることもあるようです。

 以上より、脳と心臓は不可分であることを説明しましたが、心臓(心)と脳の連携のほとんどは、身体の神経機関を使って行われているようです。さらに、神経が大量に通っている器官は脳と心臓(心)とより強く繋がっていると言えるのです。言い換えると、そのような器官は心の潜在部分も強く体現してしまう性質を持っているのです。ですから、発達した視覚神経が通る目は心の窓と言われ、他にも“つい手が出ちゃう”、“つい口からでちゃう”というような慣用表現が生まれたのでしょう。考察は、図3に記します。


 2-5 丹田

 本守護神様の直日(なおい)様は、正守護神様や副守護神様が心の中にいらっしゃるのとは異なり、少し離れたところから心全体を見てらっしゃるようです。そして、場所としては 下っ腹の丹田あたりから心を観察していらっしゃるようで、私の予想としては、三次元の人間本体の状況もよく見てらっしゃると思います。したがって、下っ腹に意識を集中して、自分の心や行動を省みることにより、直日様からのアドバイスが自分の内部から湧き上がって伝わるようです。ですから、禅定(瞑想)を行う時に、丹田に意識を集中するのは、禅定のいろはなのでしょう。 

 また、本守護神様はとても力のある善神様なので状況の改善が図られることもありますが、それが奇跡的には見えないのが特徴だと、日月神示では記されています。また、本守護神様は、平常運転時には ご発動なさることはなく、何か危機的な状況や非常に重要な局面でご発動なさるようです。

 実は、本当に重要なことは資料2-2で記されたハート(心臓)に聞くのも有効ですが、心臓部分を落ち着けて(すなわち心を落ち着けて)自省しながら、下っ腹に意識を集中して考えることが有意義だと思います。また、 脳(器官)と心臓(心)の連絡は、物理的に神経細胞が介しているようですが、下っ腹と心臓の間は、両端が霊なので テレパシーのような別の情報伝達手法がメインではないかと思っています。 


2-6 DNA

 次に、肉体本体を作り出すDNAについて考えます。資料の日月神示では「人間の肉体は想念の最外部、最底部をなすものであるから肉体的動きの以前に於て霊的動きが必ずあるのであるぞ」と記されています。体はDNAによって、設計されています。これは先祖から受け継いだものが多いでしょう。
 また、DNAは体質を決めるDNAと、働きが全くわからないDNAがあることがわかっています。前者は数パーセントしかないのですから、働きがわからないDNAの多さにびっくりします。これは2-4で記した脳細胞の構成と似ています。ここで、

  DNA1:三次元の肉体を設計する(体の丈夫さ、運動神経等、頭の良し悪し)、

  DNA2:いまだに役割が特定できていないもの

に分類しましょう。私は、資料の日月神示の情報から、神様やご先祖様からの指令やその人の元来の性格や考え方の癖などは、DNA2に情報があるのではないかと考えています。したがって、DNA2は、心と常に情報をやり取りしていて、実は心の記憶装置(ハードディスク)として働いているのではないかと考えています。ただ、もちろん 顕在意識とのやりとりはなく、顕在意識には現れないと考えています。

 一方、DNA1も身体の作り方を記憶しているので、こちらも身体設計用の記憶装置と捉えることができます。こちらも顕在意識が認識することはないでしょう。いずれにしても、DNAは心が必要とする情報を記憶格納する役割があると考えられます。

 

3. 連携による人間システムの維持 

3-1 情報伝達

 身体の各器官が何らかの情報を受けた時、その器官から脳に送られた情報は脳で翻訳され心に伝達されます。その対応策は心で各魂や守護神により会議決定され、その情報を脳に返送し、脳が翻訳して身体の隅々に働きを命じて、私たちの生活が成り立っていると考えています。脳は、顕在情報としても意識されない潜在情報も情報処理をしているので、想像以上に沢山の情報処理をしているようです。

 例えば、体調不良を認識しないまま、完治するなどと言うことは日常茶飯事ですから、このような場合は、潜在意識のみで脳を通して身体の各器官に対応策が送られている結果でしょう。

 身体の器官・末端の細胞が受信する情報は、外界の音や映像などの五感情報だけではなく、霊的な働きかけの情報もあるようです。その一例としては、外部霊の認知でしょう。これらは、人によりますが、身体のどこかで受け取り、その情報は潜在的に脳を通して心に伝わることが多いようです。ただし、人間は、基本的にこれらを顕在的に認知する能力も備えているようです。何だか、ドキドキするとか、虫の知らせとかが、その例です。そして、この感度の強弱はやはり個人差があり、感度の良い人は霊感のある人で、さらに、いろいろな情報を得られる人たちが霊能者なのでしょう。日月神示では、この五感を、超五感と記しています。この超五感により悪霊が副守護神と共鳴して、その人を破壊したりもします。

 話は変わりますが、精神障害には、

1. 身体の脳が物理的に誤動作, 故障する場合と、
2. 副守護神や外部悪霊により、心に歪みが生じ誤動作する場合 

の2通りがあるのではないかと思います。どちらも、もちろん霊的な作用がありますが、下記のような特徴があるのではないかと考えています。

1.  死に至るために生じる場合も多い 

2.  心が正しく治っておらず、正守護神や四魂が苦しんでいるサインを脳に出してる場合です。これを改善すれば治る可能性が高いと考えていますが、この時に精神分裂的な症状が現れます。それは、正守護神と副守護神の対立の現れでしょう。ただし、悪い方に振り切れると、副守護神率いる悪魔の単一守護となるので、落ち着いたように見えます。


 最後に、通常は心臓死より脳死が先になりますが、これは心が情報処理部である脳のスイッチを切るからでしょう。そして、心臓のスイッチは 本守護神様が切るのでしょう。これは、魂が安全に身体から抜けるためだと考えています。 

3-2 心と身体と DNA の連携 

 どんな(論理的な)思考も、心で為され、思考を司っているのは 主に心臓部分であろうということは、私にとっては驚愕の事実です。なぜならば、日常的に使われる“ 頭を使う ”という表現を疑ったことはなく、思考を行うのは頭だと信じきっていたからです。 もちろん、三次元的な現れをするために、脳が担っている仕事量はものすごく多く、やはりそこの性能が良い、つまり頭が良いということは、重要なことでしょう。しかし、脳から出るものは、心の有様を超えることができない、心>脳という関係があるのです。そして、心の状態は、これを治める四魂と守護神様方の中で、その時もっとも影響力のある守護神様によって決定されます。そして、その候補としては、正守護神様か副守護神様ですが、そのどちらを自分の主人にするのかを決めるのが四魂でしょう。正守護神様のご主人様は本守護神様ですが、副守護神様のご主人様はよその悪魔です。

 一般的に、脳は心を制御できないのですが、外部と心との通路も脳ですから、心に作用するための一番有意義な器官は脳ということになります。

 脳に対する良い作用は、心が正守護神様の下で正しく治り、正しい行いや精進を行っている場合に起こります。脳から心には正常な情報が多く送られ、脳にも心から正常な情報が送られますので、心も脳も壊されにくくなります。その結果、その人は、安全に霊性の向上を目指せます。この場合、後述する悪魔による脳に向けられた致命的な妨害工作は、本守護神様のご発動により阻止されます。

 逆に脳に対する悪い作用は、心を封印する、もしくは、破壊するための攻撃で、悪党のプロパガンダによる洗脳、劣化した教育、あからさまな不当行為などが代表例です。これにより、顕在意識 から悪い思考やネガティブな念いを侵入させて思考回路を壊したり乱したりして、潜在意識の書き換えすら行なってしまうのです。このような事態に陥った時は、考えがスムーズに流れにくくなります。その原因は、正守護神様と副守護神様の対立があるからで、心を落ち着けて自省し 下っ腹に意識を集中させて考えてみてください。それでも上手くいかないときは、一度 棚上げにして 放置するのが有効です。 他にも、様々な薬物や電磁波により身体の末端の器官から脳へ異常信号を送る事や、DNA を損傷させることで脳に異常な情報を送る事などによって、心(潜在意識)を攻撃する方法もあります。

 脳は DNA を記憶装置として管理していますが、脳がDNAの書き換えもできる機能を持っていると、私は思っています。

 例えば、常に正精進を行い鍛錬した場合には、本守護神様や正守護神様の許可のもとに、心が脳に DNA の書き換えを命じ、それに沿って脳がDNAの書き換えを行うというものです。ですから、スポーツなども鍛錬すれば、体が覚えるというのは、DNAにその情報が蓄積された、つまりDNAに書き換えが施されたと考えるのです。日月神示によると、この変化は本人の努力に見合ったペースで行われるようで、結果的には奇跡的だったのでしょうが、あからさまな奇跡には見えないのが特徴だそうです。そして、もちろん顕在意識では認識できない作業です。
 反対に、副守護神を通して、脳が DNA を書き換えてしまうこともあります。この場合は、稀に奇跡的な飛躍に見えることもありますが、最終的には連続した劣化が主になります。 

3-3 まとめ

“ はじめに ”で述べた 2 つの命題の結論は、 

1. 「人間の魂と心とは何か?」

    • ・人間の心は魂が寄り集まったもの
    • ・心=一霊四魂+正守護神+副守護神 (新定義1)
    • ・心=顕在意識+潜在意識 (新定義2)

2. 「人間の身体と心の繋がりはあるのか、否、あるのは確実ですが、どういう関係なのか?」

・図2に守護神様と心と身体の情報の関係をまとめました。

です。

 皆様、お付き合いいただきありがとうございました。 マシューさん、長い間、見守りいただき、ありがとうございま した。 2020/9/29 (合掌)



図2 守護神様と心と身体の情報の関係


資料1 – 日月神示 第30巻 冬の巻第一帖 – 

 宇宙は霊の霊と物質とからなってゐるぞ。人間も又同様であるぞ。宇宙にあるものは皆人間にあり。人間にあるものは皆宇 宙にあるぞ。人間は小宇宙と申して、神のヒナガタと申してあらう。人間には物質界を感知するために五官器があるぞ。霊界を感知するために超五官器あるぞ。神界は五官と超五官と和して知り得るのであるぞ。この点 誤るなよ。霊的自分を正守 護神と申し、神的自分を本守護神と申すぞ。幽界的自分が副守護神ぢゃ。本守護神は大神の歓喜であるぞ。

 神と霊は一つであって、幽と現、合せて三ぞ。この三は三にして一、一にして二、二にして三であるぞ。故に肉体のみの自分もなければ霊だけの自分もない。神界から真直ぐに感応する想念を正流と申す。幽界を経て又幽界より来る想念を外流と申すぞ。人間の肉体は想念の最外部、最底部をなすものであるから肉体的動きの以前に於て霊的動きが必ずあるのであるぞ。故に人間の肉体は霊のいれものと申してあるのぞ。 

(...) 

 人間は霊界より動かされるが、又 人間自体よりかもし出した霊波は反射的に霊界に反影するのであるぞ。人間の心の凸凹 によって、一は神界に、一は幽界に反影するのであるぞ。幽界は人間の心の影が生み出したものと申してあろうがな。

 (...) 

 故に、人間の生活は霊的生活、言の生活であるぞ。肉体に食ふことあれば霊にもあり、言を食べているのが霊ぞ。霊は言ぞ。この点が最も大切なことじゃから、くどう申しておくぞ 

 死んでも物質界とつながりなくならん。生きてゐる時も霊界とは切れんつながりあること、とくと会得せよ。そなた達は 神をまつるにも、祖先まつるにも物質のめあてつくるであろうがな。それはまだまだ未熟な事ぞ。 

(...) 

 更に祖先は過去の自分であり、子孫は新しき自分、未来の自分であるぞ。兄弟姉妹は最も近き横の自分であるぞ。人類は 横の自分、動、植、鉱物は更にその外の自分であるぞ。切りはなすこと出来ん。

 自分のみの自分はないぞ。縦には神とのつながり切れんぞ。限りなき霊とのつながり切れんぞ。故に、神は自分であるぞ。 一切は自分であるぞ。一切がよろこびであるぞ。

 霊界に於ける自分は、殊に先祖との交流、交渉深いぞ。よって、自分の肉体は自分のみのものでないぞ。先祖霊と交渉深 いぞ。神はもとより一切の交渉あるのであるぞ。その祖先霊は神界に属するものと幽界に属するものとあるぞ。中間に属す るものもあるぞ。神界に属するものは、正流を通じ、幽界に属するものは外流を通じて自分に反応してくるぞ。正流に属す る祖先は正守護神の一柱であり、外流に加はるものは、副守護神の一柱と現はれてくるのであるぞ。外流の中には、動植物 霊も交ってくることあるぞ。それは己の心の中にその霊と通ずるものあるためぞ。 

 一切が自分であるためぞ。常に一切を浄化せなならんぞ。霊は常に体を求め、体は霊を求めて御座るからぞ。霊体一致が喜 びの根本であるぞ。一つの肉体に無数の霊が感応し得るのざ。それは霊なるが故にであるぞ。霊には霊の霊が感応する。又 高度の霊は無限に分霊するのであるぞ。

(...) 

 人間は現界、霊界共に住んで居り、その調和をはからねばならん。自分は自分一人でなく、タテにもヨコにも無限につな がってゐるのであるから、その調和をはからねばならん。それが人間の使命の最も大切なことであるぞ。 

 調和乱すが悪ぞ。人間のみならず、総て偏してならん。霊に偏してもならん。霊も五、体も五と申してあらう。ぢゃが主は 霊であり体は従ぞ。神は主であり、人間は従であるぞ。五と五と同じであると申してあろう。差別則平等と申してあらう。取り違い禁物ぞ。 

資料2 心臓についての参考文献

 資料4に示しましたが、心臓は特異ですから、心臓には何があるのかな?と調べたところ、二つの文献がありました。

  1. 一つ目は、「真理のことば OS03 章 心 O37」の詩の中村氏による注釈に、「胸の奥の洞窟;(略)古ウパニシャド以来、 アートマン(心)は心臓の内にある空処に住すると考えられていた。それを受けている。」と記述があったのです。
  2. 2つ目は、マシュー君のメッセージを掲載してらっしゃる森田玄さんのブログ(http://moritagen.blogspot.jp)2017/5/4 の記事の一部が参考になりますので、ご紹介します。 

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「心(ハート)に聞きなさい」と昔からあらゆる文化で言われてますが、ではどうしたら聞こえるのか、その方法が具体 的に示されたことはありません。
英語ではハート(心)と心臓は同じ言葉(Heart) ですが、日本語は心と心臓は別です。でも、どうして昔の人は「心の臓 器」と呼んだのでしょう? 過去20年間の心臓神経学の発達によって、心臓には「心臓脳」と呼ばれる脳と同じ神経節ネットワークがあること、心 臓と脳が常にコミュニケーションしていること、そして心臓から脳に送られる情報量は脳から心臓に送られるものより10 0倍以上も多いなどが発見されています。 単なる血液の循環ポンプだと思われていた心臓が、脳と全身の機能だけでなく、人間の感情、認知、行動、反応、能力に決 定的な影響を与えていることが科学的に実証されています。 

*********** 

資料3 中村元氏の心と意に関する記述

「真理のことば」第3章「心」では、訳者の中村元氏が注釈で、漢訳版で「心意品」と記されている題名を「心」と意訳し、別の箇所でも漢訳では「意」と表記されている部分を「心」と意訳しています。「意」というと認識できる意識(顕在意識)を中国では表すのでしょう。「意」を心の音と漢字の成り立ち通りに捉えてたら、音がある心、つまり気づきやすい心となり、顕在意識であるのがわかります。一方、当時の中国人訳出者は心を潜在意識と捉えたのだと思います。ですから、題名は「心意品」となっているのでしょう。

 日本人は、古来より心を顕在部分と潜在部分の集合体と捉えていたのでしょう。「心意」と書かれるより、「やまと言葉」の「心」を使いたかった、中村氏の訳出も、日本人としては賛同できます。しかし、漢訳の厳密な表記は、心という概念がわかるだけの感覚を失った現代人にとって大切で、心の正しい状況を端的に言い表していると称賛せずにはいられません。 

3-1 人型図上の指によるエネルギー測定の試行

 今回の題目に取り掛かる前に、白い紙に人型を書いて、目をつぶって人型の上を自分の指で撫でていく試行を行いました。 どうして、そんな事をしたのかと言えば、指先に意識を集中すると何かを感じ取ることができるのかなと言う、疑問からです。 ですから、このテキストのためにこの試行を行なったわけではないのです。しかし、私の指は、違いを感知しました。ちょっ とした振動が伝わってくる場所があったのです。3回の試行ともほぼ同じ結果をえました。 

・心臓部は全く疑う余地がないほど、強く振動を伝えてきました。
・喉部が次に強い振動を伝えてきました。 

・頭とお腹は同じくらいの振動ですが、心臓と喉に比べるとだいぶ小さくなりました。 

・手と股間は同じくらいですが、弱かったです。
・足は、振動を感じませんでした。
図3に人型図上の指によるエネルギー測定の試行の結果を書き込みます。 

 半年の停滞期間に、この試行結果が、顕在意識や潜在意識、守護神と関係があるのではないかと考えるようになりました。

 この辺りは、私が訂正を入れまくったことからもわかるように、非常に苦労した部分です。しかし、初期にはツイッターでの記事 だったので、バラバラになっています。

  私が感じた身体から放出されるエネルギーが頭の部分で他の器官よりは多く感じられたのは脳が原因ではないかと思っています。しかし、心臓はさらに一桁以上多いエネルギーです(紙の人型を使って、指で感知してみてください。 心臓だけは分かる方も多いと思います。)。これには本当に驚愕しました。頭が一番大きなエネルギーを出していると思って いたので、とても意外でした。 それ以外で、強いエネルギーを感じた部分の考察は図3に記しました。

 最後に、日月神示では、心臓のみではなく肺を合わせた 「心肺による呼吸と脈打ち」が 人間にとって大切だと 説いていることを付記して 終わりとします。



図3 身体の各器官の連携と人型エネルギー測定結果




再考「真理のことば」のバージョンアップの歩み💕

 再考 「真理のことば」 月夜の龍 著 2019/2/19

  ⇩ブッダと御仏等の言葉の再定義による変更

再考「真理のことば」ver. 1     2019/6/20

  ⇩ 付録1の心と魂の捉え方変更による、“付録1”、“§FS 1 心”、“FS 2 自己”、および“付録2”の変更作業

  ⇩ “付録1”の変更作業  ←  (2020/10/1完了) 

   “付録2”の変更作業  ←  今 ココ ❤️(2020/10/22完了)

   新課題“バラモンの地位を排除して再構築する” ため全体的な見直し←  今 ココ ❤️ 

・再考「真理のことば」ver.1 リプレイス版1(PDF)で準備中 (いつになるかな?)

2019年6月20日木曜日

再考「真理のことば」ver.1 での変更点


差し替えの手順(3方法のご紹介;3→2→1の順が推奨順です。)

  1. 再考 「真理のことば」について、訂正を行いました。ここをクリックすると変更版 再考「真理のことば」ver.1がPDFで得られます。
  2. ページの差し替えで済ませる方法もあります。再考 「真理のことば」ver.1のページ番号 2, 8, 9, 18, 22~ 25, 58, 73~76,  81~84の合計17枚を出力して、同じページ番号で差し替えることができます。 ただし、この方法ですと、付録の最初のページ番号84がダブってしまいます。しかし、以後の「第4部 付録」、「第5部 削除した詩」に関しては、変更を行っていませんので、再出力の必要性は低く、気になる方は49ページ以降からページを振り直してください。
  3. さらに、再考「真理のことば」ver.1の8〜9、24〜25、81~84ページ(計8枚)を出力して、旧 再考「真理のことば」と差し替え、84ページだけはダブってしまいますが、新しい84ページを古い84ページの前に入れてください。他の箇所は下記の変更内容に従って赤鉛筆で直していただくのが一番無駄がないと思います。


以下に変更の経緯と変更箇所を記します。

変更の経緯


 今回、あらたに、ブッダ=み仏ですが、ブッダとはその存在より上の霊格からの呼称、み仏( or 仏)は下の霊格からの呼称という約束事を導入いたしました。なぜならば、縦(霊格)の繋がりを正すことが重要だと、最近 強く認識したからです。
 以前は、章 FS19 真人、FS24 バラモン、FS25 ブッダにおいて、「その人を我は・・・と呼ぶ。」の、「我は」が誰なのかを、はっきり議論せずに分類を行ったのですが、この「我」が誰なのかを考えて詩を読むことがとても重要だと、今更、気づいてしまいました。その結果、系統的にまとめることができましたので、以下に記します。

• 「その人を我はブッダと呼ぶ」の場合、我=神
 (なぜなら、霊格は神>ブッダ、仏様なので、ブッダを規定できるのはブッダ、仏様より霊格の高い神しかできないと言う論理です。)

• 「その人を我は真人 (or  バラモン)と呼ぶ」の場合、我=ブッダ、仏様
 (同様に、霊格は、ブッダ、 仏 > 真人、バラモンとなるので、真人とバラモンに関しては仏様が規定できると言う論理です。)

 以上の解釈により、我=神 の関係となる詩は、お釈迦様を通して高次の存在(神)が語られた教えと考えます。 他方、これ以外の真理のことばの詩は、お釈迦様が与えている教えが主になっています。しかし、お釈迦様を通じて、このような高次の存在(主に 二人称で「汝」を使用)からの教えが伝えられている場合も見受けられることは、本文で議論しました。
(補足) 
 お釈迦様は、人間でこの世にお生まれになり人間としては最も進化したブッダ(仏)になられたと言うのが一般的な説です。実は、そのお釈迦様に語りかけられた神様とお釈迦様の関係は当方にはよくわかりません。華厳経では、お釈迦様は盧舎那仏様(神様)からのメッセンジャー(人間)と書かれています。ただ、当方では手に負えない議論であると同時に、多分、人間の分際では計り知れない領域となると考えております。
 しかし、幸いにも、この「再考 真理のことば」は、お釈迦様は人間で活動なさり、人間として正しく生きる教えを残してくださったと言う前提で、受け取り手の人間にとって何ら問題がない詩句のみですので、梵天様や盧舎那仏様など、お釈迦様にお働きかけた存在については、あまり考えないことにします。そして、やはり一般の人間はお釈迦様である仏様をお手本にその教えを一番大切にして生活を送り人生を歩むことにより霊格の向上が効率よく進むと理解するに至りました。ですから、日蓮上人は、「釈迦より私の方が優れているけれど、仏道ではお釈迦様を一番中心において拝しなさい。」とおっしゃられたのだと思います。ただ、だからと言って日蓮宗を私が薦めているわけではないのです。と言うのも、ほとんど知りませんので。やはり自分で読み込んだ、再考「真理のことば」が私としては責任を持ってお薦めできるのです。

変更内容

 カッコ内の数字は、前回の 再考「真理のことば」における訂正ページです。*マークは、差し替え手順3において必ず再出力される部分なので、各位での訂正は必要ない部分です。

  1. FS16 詩 F204:「それが」→「それらが」、「それは」→「それらは」(18, 58)
  2. FS22 詩 F291,294:「仏」→「み仏」(22, 73)
  3. FS22 詩 F292,293:「ブッダ」→「み仏」(22, 73)
  4. FS22 詩 F301:「ゴータマの」→「仏」(23, 74)
  5. FS22 詩 F302:「ブッダの」→「仏」(23, 75)
  6. FS23 詩 F306:「ブッダ」→「み仏」(23, 76)
  7. FS23 詩 F309:「修行僧」→「バラモン」とし、FS24 詩 F341.1 として、F341 の後に移動(8*, 9*, 23, 24*, 76, 81*)
  8. FS24 詩 F340, 346:「かれをわれは」→「その人を我は」(24, 26, 81*, 82*)
  9. FS24 詩 F345:「われは」→「我は」(24, 82*)
  10. “再考「真理のことば」 ver.1 での変更点”(本章)を新設(2)



2019年2月8日金曜日

仏道における「空と相」

 「空と相」の議論は、度々、正しく語れずに失敗に終わっています。その度に正答に近づくのですが。今回の解釈は、しっくりと腑に落ちました。
 まずは、訂正するツイートは以下に示した2019年1/28のツイートです。







































 私も「この世の中は無相です。」なんて書いて、「この世には何もないよ」みたいなニュアンスを醸し出してしまいました。すみません。
 この世の中(3次元)は、私たちの修行の場ですから、とても価値のあるところです。ここで、自分の魂が十分学ぶために、時間を無駄にしてはならないのです。少なくともそういう心意気で臨みましょうというだけで、くれぐれも無理しないでください。身の丈にあった生活が一番なのです。そして、この世の中には実相があって、そこにはきちんとした物事や分別(個々の違い)があるということなのです。違いがないという教え自体が悪魔のささやきでした。ついつい、やられてしまいます。
 以下は、先のツイートの画像部分の文章を書き直したものです。

  詩番号  F257 (B084, D, O092+093, OS07)
  書換え詩
心の汚れが消え失せ解脱することは、空を体現してこの世の実相を認識することでもある。この解脱者たちの行く路(足跡)は知り難い。_空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。

元詩
 O092;財を蓄えることなく、食べ物についてその本性を知り、その人々の解脱の境地は空にして無相であるならば、かれらの行く 路(足跡)は知り難い。_空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。
 O093;その人の汚れは消え失せ、食べ物をむさぼらず、その人の解脱の境地は空にして無相であるならば、かれの足跡は知り難い。 _空飛ぶ鳥の迹の知り難いように。

***(コメント変;重要)*****************
 空と相について、説明を改めました。
 “「分別のない世界を一切空」と。”言うらしいのです。(http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-391.htm さんより)。

 私は、この説明は明らかに間違いであると思います。 実は、自分の色眼鏡を外す、言い換えれば、心の汚れを取り払ってこの世の中を見ることが、空の体現です。完全に取り払うこと は難しいですが、出来うる限り取り払う努力が必要です。この時、役に立つのが、禅定(瞑想)だとも思っています。その時に見 えてくる世界には、実は分別があるのです。はじめて体験すれば、空の中には物事も分別もあることがわかります。それらが、自分が色眼鏡で見ていた物事と分別とは違うということなのです。ですから、あえて私が空を一言で言えとなったら、「空とは、相を 取り払ったこの世の実相」になります。 

 では、相とは、何でしょうか?相とは、この世の形や現象です。この世の実相を覆うマトリックスのようなもので、空を体現す ることにより、色眼鏡を通して見えていた相が消えて、この世の中の物事も分別もある実相が見えてくる、これが「空の体現」で しょう。無相は「相を無くしてください。」という意味で、「有相を感じる。」という言い方でも良いでしょう。ですが、無相という と「何もかも無いと同じ」というイメージを持ってしまい、非常に危険です。
  解脱は、持続的に空を体現して、この世の実相と相を認識することに他なりません。これに従って、詩を書き換えました。 そして、空の体現と「食べ物を貪らず」や「食べ物の本性を知る」は同等のはずがありません。従って、この2句は削除します。 
 また、この教えは、在家と出家の両者に与えられているので、財は結果として溜まってしまうことまで禁じえません。突き詰め て言ってしまえば、「財を蓄えること=悪」と言う関係は間違いで、悪魔のトラップです。従って、これに関する句も削除します。 結果として、両詩はほとんど同様な詩句になるので、合体させます。














2018年12月13日木曜日

教科書と先生

 歴史の訂正は急務でした。それが日本国紀だったのですよね、きっと。
 日本国紀は、教科書を目指したからこそ、脱線も少なく、無理な議論はしないスタンダードな書物になりました。
 出版する交換条件で色々と飲まされた条件もあるのでしょう。公の発表物だから、さまざまな人たちの利害が対立したので、仕方なかったと思います。その中では最大限のことをおやりになったと思います。

 しかし、今の教科書全般には欠点が多いけれど利点もあるのです(ただ、中学英語だけは全改定が必要かも)。やはり、個人レベルで授業を練るよりは偏りが少ないのです。

 そして、現在進行形で修学している人たちもいるし、教えている人にだって良心がある人も多くはないけれど少なくもないのです。現時点で一辺倒な議論で教科書の破壊工作に協力するのは危険です。

 教科書を使わなかった悪い授業の例です(大学ではこんなのが横行していますが;爆笑。)


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高校時代の現代文の授業で、

太宰治の人間失格、
安部公房の砂の女、
小林多喜二の蟹工船

を立て続けに習ったことがありました。もう、気持ちが暗くなるので授業が聞けませんでした。その国語の先生の嗜好です。センコウ、グレイかよ?仁義、お礼参りに伺わせていただきます。」なんちゃって。
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 教科書や指導要領がない世界なら、現文に限らず、全ての教科でもっとひどいことになるでしょう。
 教科書が酷いと言えども、現時点では、これを上手に活用し、先生の良心が加わえるのが最良の手段です。急な改善を目指すと足をすくわれますので、徐々に改良をする気持ちを忘れずに持っておく事が必要です。
 教科書の改定も必要ですが、どちらかと言えば、教員採用が急務です。

2018年11月27日火曜日

再考「真理のことば」を記すにあたっての方針とルール

再考「真理のことば」を記すにあたっての方針とルール

(1)新旧の章と詩番号の対応

 本書では、章番号と詩番号に新旧があり、さらに、前身のブログにも詩番号をつけています。また、章や詩の整理で は、番号が非常に重要ですので、ここで番号の付け方について取り決めを行います。
• 中村元氏の取りまとめた「真理のことば」(岩波文庫)に記されている章番号を接頭文字 OS(Original Section) を 使って表します。
• 本書で使用した章の並び順を表した章番号を接頭文字 FS(Final Section) を使って表します。
• O 番号 (Original Number) は、中村氏の付けた番号を記しています。
• B 番号 (Blog Number) は、前身となりました私のブログ「真理のことば 月夜の龍改定版」で用いた詩番号です。
• F 番号 (Final Number) は、再考「真理のことば」で使用する詩の並び順を表した詩番号です。


(2)章編成は予定(以下の順)

なお、便宜上、第1節、第2節、第3節と分けました。

第1節  ひと組ずつ
FS1 心
FS2 自己
FS3 はげみ
FS4 老いること
FS5 世の中
FS6 道
FS7 千という数にちなんで
FS8 花にちなんで
FS9 象
FS10 楽しみ
FS11 さまざまなこと
FS12 ひと組ずつ

第2節  悪
FS13 悪
FS14 暴力
FS15 怒り
FS16 汚れ
FS17 執着と欲望
FS18 悪いところ

第3節  さまざまな人
FS19 愚かな人
FS20 賢い人
FS21 真人
FS22 道を実践する人
FS23 修行僧
FS24 仏弟子
FS25 バラモン
FS26 ブッダ


(3)途中まで進んだらPDF形式でアップ

最終的なファイルもPDFですが、途中でアップしたものは、その1、その2…とファイル名を付けていきます。

(2018/11/27)

2018年11月14日水曜日

魂と脳と守護霊 最終版


 記事を丸ごと差し替え

魂と脳と守護霊 最終版
1.はじめに
 私がマシューさんに、「人間の魂と身体、また、守護霊と言われる方との関係をはっきりとさせてみてはどうですか?自分と自分の先祖のことについても、あなたは先祖と自分を切り離して考えているところがありますが、それは甚大な誤解なのですよ。」と言われて、2017年6月19日現在ですでに一年以上が経っていました。
 私自身も、自分と先祖、身体を持たないバックアップしている存在との関係には強い興味を持っていました。
 そこで、二つの命題
 人間の魂と心とは何か?
 人間の身体と心の繋がりはあるのか、否、あるのは確実ですが、どういう関係なのか?
を立てました。
 壮大な命題であると同時に、現在の人間の科学では、残念ながら、証明は不可能です。したがって、この記事も科学的バックアップは受けられないでしょう。でも、腑に落ちる説というものを、私の審神者を使った上で、情報を集め、考えをまとめてみたいと思った次第です。
 なせならば、今後生きていく私たちが有意義な人生を送るための情報になると確信したからです。さらに、重大な病気で苦しんでいる方々にとっても有益ではないかと考えたのです。

 でも、半年くらい思索を続けた2017年9月あたりに、「とても大変な課題に手を出してしまった。」と、かなり後悔した時期がありました。
 審神者を行い、ネットで色々調べても、誰も答えが出せないのを良い事に、似て非なるような説が飛び交う世界が広がっているではありませんか。悪魔の広めている情報を拾い集めながら正しいものを考えるという作業は、審神者を使う私にとっては、神経に与えるダメージがとても強いのです。「なかったことに。」なんて思ったこともありますが、マシューさんはきっとアメリカ上空でこのネットを見ていると思うと…。「まだ宿題、終わってないよ!」って、お声が聞こえる私でした。
 しかし、当時、並行して「真理のことば」の読み直しを始めました。その時に、達成するためには、変じ改めるべし、いろいろな情報(山)を重ね合わせて、正しいもの(お釈迦様の教えとマシューさんからの宿題の解)との出会いをする時期なのだというご託宣が降りてきました。
 「真理のことば」を変じ改めるためには、どうしても、マシューさんからの宿題の解が必要であることに気づき、これらが別立てで存在しているのではなく、同じ源から発生している事を理解しました。
 上記の命題の解を考えるにあたって、情報を細かく調べて吟味し、熟考しますが、核は審神者の情報になりました。
 また、私の魂と脳と守護霊シリーズの記事は、過去に訂正がたくさん入っていて、混乱した状態でした。この状態にピリオドを打つために、最終版記事を書きますが、この記事は「再考 真理のことば」の付録1としても使用します。

2. 人間の霊的システム
2-1 守護神 
  まず、守護神と心を導入しましょう。本守護神+正副守護神については、資料に載せた、ひふみ神示冬の巻第1帖を参考にしてください。
 我々人間に働き掛ける霊的存在は、守護神だけではなく、外部霊もあります。身体を持たない霊体ですが、これは、正しい方向に導こうとする光系外部霊(神)と、悪い道に誘う闇系外部霊(神)がいます。副守護神は、闇系外部霊と共鳴しやすいです。それを起こさないように頑張るのが魂や正守護神です。
 働きかけの詳細は、主に4節で論じ、図2にまとめました。
2-2. 心
 「真理のことば」 第3章「心」では、訳者の中村元氏が注釈で、漢訳版で「心意品」と記されている題名を「心」と意訳したことを記されています。中村氏は、別の箇所でも、漢訳では「意」と表記されている部分を「心」と意訳しています。
 「意」というと認識できる意識(顕在意識)を思い浮かべてしまいます。それはまんざら間違えではなく、「意」を心の音と漢字の成り立ち通りに捉えてたら、音がある心、つまり気づきやすい心とでも言えば、顕在意識となるのがお分かりかと思います。一方、中国人は心を潜在意識と捉えたのだと思います。ですから、題名は「心意品」となっているのでしょう。漢訳は、あまりにも的確な訳出が多く、脱帽の連発です。
 しかし、ここではあえて、潜在意識も含めたもの、つまり、
 心(自分)=顕在意識+潜在意識         定義(1)
 と定義します。

 しかし、古来日本人は、わざわざ定義しなくても、心は顕在部分と潜在部分の集合体と感じていたのではないかと推測しています。「心意」と書かれるより、「やまと言葉」の「心」を使いたかった、中村氏の訳出も、日本人としては非常に賛同できます。ただし、一歩間違えると、心という概念があやふやになる訳出であるとも言えます。


2-3. 魂

  次に、“魂”について考えましょう。資料のひふみ神示では
人間の肉体は想念の最外部、最底部をなすものであるから肉体的動きの以前に於て霊的動きが必ずあるのであるぞ」と記されています。
 体はDNAによって、設計されています。これは先祖から受け継いだものが多いでしょう。
 また、DNAは体質を決めるDNAと、働きが全くわからないDNAがあることがわかっています。ここで、DNAを導入し、議論を展開してみましょう。
 前者は数パーセントしかないのですから、働きがわからないDNAの多さにびっくりします。そこで、DNA①を三次元の肉体を設計する(頭の良し悪し、体の丈夫さ、運動神経 等)とDNA②をいまだに役割が特定できていないものに分類しましょう。
 私は、資料のひふみ神示の情報から、神様やご先祖様からの指令やその人の元来の性格などは、DNA②に情報があるのではないかと考えています。したがって、DNA②は、生きている間も、神霊界や幽界との交信、外部霊との、そして潜在意識とも交信を行なっているものだと考えています。ただ、顕在意識への働きかけはあまりなく、顕在意識が認識しにくいと考えています。
 ここで、潜在意識、顕在意識、そしてDNA①とDNA②を合わせて、魂(=自己)と考えます。
魂(=自己) =心(=自分)+ DNA① + DNA②      定義(2)

3. 人間の身体システムと霊性
3-1. 人型図上の指によるエネルギー測定の試行
 今回の題目に取り掛かる前に、白い紙に人型を書いて、目をつぶって人型の上を自分の指で撫でていく試行を行いました。どうして、そんな事をしたのかと言えば、指先に意識を集中すると何かを感じ取ることができるのかなと言う、疑問からです。ですから、このテキストのためにこの試行を行なったわけではないのです。しかし、私の指は、違いを感知しました。ちょっとした振動が伝わってくる場所があったのです。3回の試行ともほぼ同じ結果をえました。

心臓部は全く疑う余地がないほど、強く振動を伝えてきました。
喉部が次に強い振動を伝えてきました。
頭とお腹は同じくらいの振動ですが、心臓と喉に比べるとだいぶ小さくなりました。
手と股間は同じくらいですが、弱かったです。
足は、振動を感じませんでした。
  図1に人型図上の指によるエネルギー測定の試行の結果を書き込みます。

そして、前述した半年の停滞期間に、この試行結果が、顕在意識や潜在意識、守護神と関係があるのではないかと考えるようになりました。
 この辺りは、私が訂正を入れまくったことからもわかるように、非常に苦労した部分です。しかし、初期にはツイッターでの記事だったので、バラバラになっています。ちなみに、この記事に至るまでの最終の記事はhttps://newbuddhawords.blogspot.com/2017/09/ver-2017.htmlです。
 脳も身体の一つの器官ですから、私が感じた身体から放出されるエネルギーが頭の部分で他の器官よりは多く感じられたのは当然だと思います。しかし、心臓はさらに一桁以上多いエネルギーです(紙の人型を使って、指で感知してみてください。心臓だけは分かる方も多いと思います。)。これには本当に驚愕しました。頭が一番大きなエネルギーを出していると思っていたので、とても意外でした。

3-2. 心臓と脳
 それほどまでに特異な心臓ですから、心臓には何があるのかな?と調べるのは簡単で、二つの文献がありました。
 一つ目は、「真理のことば OS03章 心 O37」の詩の中村氏による注釈に、
「胸の奥の洞窟;(略)古ウパニシャド以来、アートマン(心)は心臓の内にある空処に住すると考えられていた。それを受けている。」
と記述があったのです。

 2つ目は、マシュー君のメッセージを掲載してらっしゃる森田玄さんのブログ(http://moritagen.blogspot.jp)
2017/5/4の記事の一部が参考になりますので、ご紹介します。
************
「心(ハート)に聞きなさい」と昔からあらゆる文化で言われてますが、ではどうしたら聞こえるのか、その方法が具体的に示されたことはありません。

英語ではハート(心)と心臓は同じ言葉(Heart)ですが、日本語は心と心臓は別です。でも、どうして昔の人は「心の臓器」と呼んだのでしょう?

過去20年間の心臓神経学の発達によって、心臓には「心臓脳」と呼ばれる脳と同じ神経節ネットワークがあること、心臓と脳が常にコミュニケーションしていること、そして心臓から脳に送られる情報量は脳から心臓に送られるものより100倍以上も多いなどが発見されています。

単なる血液の循環ポンプだと思われていた心臓が、脳と全身の機能だけでなく、人間の感情、認知、行動、反応、能力に決定的な影響を与えていることが科学的に実証されています。
***********

 以上、森田氏の文献から、脳と心臓の連携が強いのは、頭で理解した事象に対して、それによって焦った時に心臓がドキドキするばかりで適切な対応策ができないなんてことからも、容易に想像できるのです。つまり、脳と心臓は、顕在意識と潜在意識と同様に不可分であると言えるのです。

 さらに、一つ目の参考文献に出てくるアートマンは、調べると意識の最も深い内側にある個だと言う、難しい表現が出てきますが、これも中村氏がカッコ書きで心であると注を入れてくださっていますので、アートマンは潜在意識であり、心臓にいると読み取ることができるのです。そして、顕在意識は、常に表に出て、感じることができるのですから、脳にいると考えて問題ないです。
 ゆえに、潜在意識は心臓を中心にいて、顕在意識が脳を中心にいると言えます。
 また、心臓は身体を存続させるかどうかのスイッチです。このスイッチは、基本的に本守護神が管理しているようです(審神者です。)。もちろん、正守護神や自分の意見を聞きつつも、最終的な決定権を持つのが、本守護神のようです。
 
3-3. 丹田
 次に、丹田(下っ腹)です。
 禅定(瞑想)を行う時に、丹田に意識を集中するのは、禅定のいろはです。
 私は、気分的に荒んでいる時というのは、必ず腸の調子が悪くなります。腸の調子が良くなってくると、非常に意識は明朗になってきます。私の場合、腸の不調は、私の守護神さんたちが、悪魔たちに攻撃をされている時ではないかと考えています。
 これらのことから考えると、守護神達が出現する場所で、心に働きかける場所が主に下っ腹(丹田)だと考えられます(実は、審神者では、すぐにこの情報が来るのです。)。 
 そのため、魂が守護神と相談したいときは、下っ腹に心(意識)を集中させるのが有効で、禅定のいろはに「丹田に意識を集中する。」があるのだと思います。
 よって、実は、本当に重要なことはハート(心臓)に聞くのではなく、下っ腹に意識を集中して考えることが有意義だと思います。
 ちなみに、脳(器官)と心臓(魂)の連絡は、物理的に神経細胞が介しているようです(森田氏の文献)。しかし、下っ腹と心臓の間は、両端が魂なので、テレパシーのような別の情報伝達手法がメインではないかと思っています。

4. 連携による人間システムの維持
4-1. 身体への情報伝達
 次に、我々が日常過ごすために行っている、情報伝達と行動を考えてみます。
 末端器官の情報が集まり、それらを動かすメイン器官はやはり脳だとは思います。
 では、過程を詳しく見ましょう。情報に応じた最適な物理的反応は、守護神たちから魂へのアドバイス(基本は潜在意識に送られるようです)や過去の経験など潜在意識にある情報を、魂が潜在意識から顕在意識へと送り、それから魂が最適な反応を割り出し、脳に命じて、脳が身体の隅々に命じるという形ではないかと思います。しかし、これらが、潜在意識のみで行われる場合もあるでしょう(身体の不調に関する対応など)。

 身体の器官・末端の細胞が発する情報は何も外界の音や映像などの5感情報だけではなく、守護神からの働きかけの情報もあるようです。その情報は、身体のすべての部分で受け取ることができ、その情報は魂の潜在意識の領域に伝わることが圧倒的に多いようです。それらを潜在意識から顕在意識に変換する作業を担っているのも魂です。身体の各器官を通して得られた守護神さんからの情報は、一度、潜在意識に情報を運んで、そこで過去の経験などのデータとともに情報処理して顕在意識に運び、そこから脳へ神経で伝達して、身体の器官へと命を下すという方式で身体の動きが制御されていると思います。時間がかかっても正確な行動がとれるのでしょう。

 ただ、潜在意識などの吟味を介さずに直接に顕在意識に情報が届くのも例外的にあると思います。怖くてドキドキするとか、もう嬉しくて心臓がバクバクするような時は、守護神、魂、他の霊体の身体の細部からの情報が、顕在意識に直接  届けられた場合です。論理的なバックアップがなく、何だか感じるというものです。虫の知らせもこの類だと思います。

 脳を通さずに、守護神や魂は体の各器官へ物理的対応を指示することもあるでしょう。“反射”と言われる反応(これは、熱いものに触れて、すぐに手を離し、その後に熱いと感じる)や“火事場のバカ力”と言われるものがこれらに属するのでしょう。こちらも緊急性が高い時です。

 また、精神障害には、1. 身体の脳が誤動作する場合と、2. 心の歪みが魂の歪みになり生じる誤動作の場合の2通りがあるのではないかと思い始めました。どちらも、霊的な作用があるのですが、1の場合は死に至るために生じた場合が多いと考えています。
 2. の場合は、軽症の場合は、心の歪みを解き放つことで治る可能性が高いと考えています。

 最後に、心臓死より脳死が先というのは、魂が駆動部である脳のスイッチを切るからでしょう。そして、心臓のスイッチは守護神が切るのです。これは、魂が安全に身体から抜けるためです。

4-2. 守護神と魂と身体とDNAの連携
 前節では、どんな(論理的も)思考も、潜在意識の大きなタンクがなければできないということがわかってきました。思考を司っているのは、主に潜在意識で心臓部分であろうということは、私にとっては驚愕の事実です。なぜならば、日常的に使われる“頭を使う”という表現を疑ったことはなく、信じきっていたからです。
  ここまで議論をしてきた結果、顕在意識と脳によって身体の器官を使って魂の情報が体現されると言えます。その一方で、守護神>魂>脳という厳然とした関係があるために脳は魂を制御できないのです
 しかし、外部と魂との通路も脳です。よって、魂を封印する、もしくは攻撃する糸口が、脳(顕在意識)です。顕在意識から潜在意識を壊すのです。洗脳するために、プロパガンダを流したり、教育を劣化させているのです。これにより、顕在意識での思考回路に滞りを作り、顕在意識による潜在意識の書き換えなども行なってしまうのです。どうしても考えがスムーズに流れなければ、その原因をきちんと見直して、その事象を取り払った時に、頭の中がどう動くかを観察してください。これによる洗脳防衛は有効だと思います。
 他にも、様々な薬物や電磁波により身体の末端の器官に誤信号を脳に送らせたり、DNAを損傷させたり、脳に異常を加えて、潜在意識を攻撃する方法もあります。
 また、脳はDNAの管理業務をしていると思います。書き換えもできるようです。例えば、魂が出した解決策が本守護神や正守護神の意図することであれば、脳にDNAの書き換えを命じることが可能で、その命令に従って、脳はDNAを書き換えます。奇跡的なガンの治癒などは、この例だと思います。
 同様に、悪魔の言いなりになって、脳がDNAを書き換えてしまうこともあります。この場合は、奇跡的な飛躍などはなく、連続した劣化が主になります。
 このようなシステムのもとで、我々の三次元の体が保たれ、修行ができているのです。すごいシステムだと感じるばかりです。
 最後に、図1に魂と守護神と身体部位のまとめ図で、体の各器官の役割や人型図上の指によるエネルギー測定結果を示し、図2に守護神と魂とDNAと外部霊の情報伝達図を載せました。
 ちなみに、二つの命題の答えは、
・人間の魂と心とは何か?→定義1と定義2と定義したというのが答え
・人間の身体と心の繋がりはあるのか、否、あるのは確実ですが、どういう関係なのか?
 →第4節に詳しく論じました。
以上です。お付き合いいただきありがとうございました。
マシューさん、ありがとうございました。2018/11/14                (合掌)
 
資料
ひふみ神示 第30巻 冬の巻
第一帖
 宇宙は霊の霊と物質とからなってゐるぞ。人間も又同様であるぞ。宇宙にあるものは皆人間にあり。人間にあるものは皆宇宙にあるぞ。人間は小宇宙と申して、神のヒナガタと申してあらう。人間には物質界を感知するために五官器があるぞ。霊界を感知するために超五官器あるぞ。神界は五官と超五官と和して知り得るのであるぞ。この点 誤るなよ。霊的自分を正守護神と申し、神的自分を本守護神と申すぞ。幽界的自分が副守護神ぢゃ。本守護神は大神の歓喜であるぞ。
 神と霊は一つであって、幽と現、合せて三ぞ。この三は三にして一、一にして二、二にして三であるぞ。故に肉体のみの自分もなければ霊だけの自分もない。神界から真直ぐに感応する想念を正流と申す幽界を経て又幽界より来る想念を外流と申すぞ人間の肉体は想念の最外部、最底部をなすものであるから肉体的動きの以前に於て霊的動きが必ずあるのであるぞ。故に人間の肉体は霊のいれものと申してあるのぞ。
 (…)
 人間は霊界より動かされるが、又 人間自体よりかもし出した霊波は反射的に霊界に反影するのであるぞ。人間の心の凸凹によって、一は神界に、一は幽界に反影するのであるぞ。幽界は人間の心の影が生み出したものと申してあろうがな。
 (…)
故に、人間の生活は霊的生活、言の生活であるぞ。肉体に食ふことあれば霊にもあり、言を食べているのが霊ぞ。霊は言ぞ。この点が最も大切なことじゃから、くどう申しておくぞ。
 死んでも物質界とつながりなくならん。生きてゐる時も霊界とは切れんつながりあること、とくと会得せよ。そなた達は神をまつるにも、祖先まつるにも物質のめあてつくるであろうがな。それはまだまだ未熟な事ぞ。
(…) 
 更に祖先は過去の自分であり、子孫は新しき自分、未来の自分であるぞ。兄弟姉妹は最も近き横の自分であるぞ。人類は横の自分、動、植、鉱物は更にその外の自分であるぞ。切りはなすこと出来ん。
 自分のみの自分はないぞ。縦には神とのつながり切れんぞ。限りなき霊とのつながり切れんぞ。故に、神は自分であるぞ。一切は自分であるぞ。一切がよろこびであるぞ。
 霊界に於ける自分は、殊に先祖との交流、交渉深いぞ。よって、自分の肉体は自分のみのものでないぞ。先祖霊と交渉深いぞ。神はもとより一切の交渉あるのであるぞ。その祖先霊は神界に属するものと幽界に属するものとあるぞ。中間に属するものもあるぞ。神界に属するものは、正流を通じ、幽界に属するものは外流を通じて自分に反応してくるぞ。正流に属する祖先は正守護神の一柱であり、外流に加はるものは、副守護神の一柱と現はれてくるのであるぞ。外流の中には、動植物霊も交ってくることあるぞ。それは己の心の中にその霊と通ずるものあるためぞ。
 一切が自分であるためぞ。常に一切を浄化せなならんぞ。霊は常に体を求め、体は霊を求めて御座るからぞ。霊体一致が喜びの根本であるぞ。一つの肉体に無数の霊が感応し得るのざ。それは霊なるが故にであるぞ。霊には霊の霊が感応する。又 高度の霊は無限に分霊するのであるぞ。
 (…) 人間は現界、霊界共に住んで居り、その調和をはからねばならん。自分は自分一人でなく、タテにもヨコにも無限につながってゐるのであるから、その調和をはからねばならん。それが人間の使命の最も大切なことであるぞ。
 調和乱すが悪ぞ。人間のみならず、総て偏してならん。霊に偏してもならん。霊も五、体も五と申してあらう。ぢゃが主は霊であり体は従ぞ。神は主であり、人間は従であるぞ。五と五と同じであると申してあろう。差別則平等と申してあらう。取り違い禁物ぞ。




図1 魂と守護神と身体部位の役割と人型図上の指によるエネルギー測定結果








図2 守護神と魂とDNAと外部霊の情報伝達説明を追加