【再考「真理のことば」ver.1 付録5 心の汚れ (2) 欲、(3) 執着と欲】に大幅な変更がありました。
変更点
- 二つの節を一つにまとめ、節名を「執着と欲望」と変更
- 愛欲の定義を変更
- 情欲の定義を変更
- 承認欲の導入
(2) 執着と欲望
真理のことばには、諸所に「情欲」、「愛欲」(*)という欲が登場します。まずは、これらの意味を考えましょう。
- 情欲 「青い心の欲」となりますから、「これは未熟な心が欲しがるもの【欲】」という漢字の成り立ち通りに捉えます。これは、 欲の種類ではなく、欲の特徴を言い表しているものとします。
- 愛欲 欲を愛する事
としました。
仏教では代表的な欲として、五欲(食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲)が提唱されています。しかし、当方の経験では五欲では足りず、「人から愛されたい、認めてもらいたい。」という【承認欲】が入るべきだと考えています(以前はこれを【愛欲】としました。)。
五欲に承認欲が加わり六欲になります。この六つの欲を生存上必要な順に並べると、
食欲 = 睡眠欲 》承認欲 》色欲 》財欲 》名誉欲 ←六欲
になると、私は考えています。ただし、並び順は人によりある程度 前後すると思います。以上を六欲と命名します。
現状の仏教では、一般にきっちりした言葉の定義がなされていないので、欲さらには執着に関して思考ループを作ってしまうという事態を招いているように見受けられます。
(→いつもの手口だけれどさ!)
お釈迦様は、この世の中には激流が存在して、その激流と一緒に流れている無常のものに恋い焦がれて、精一杯追いかけるのが 人間の心であるとしています。この激流に引っ張られる要因が、執着なのです。また、実際には、執着によって激流に一緒に流されているだけなのですが、その求めているものは、激流の中なので、なかなか掴めません。しかし、自分では激流の中で一生懸命追い求めている気になっているのです。
では、この激流とは何を指すのでしょうか? これが、先ほど述べた欲の数々なのです。この欲というものは、理科学でいう場のようなもので、すでにこの3次元の世の中に設定されているのでしょう。これは、人間の力でなくすことなどできないものです。
ですから、「欲をなくせ。」という表現は、本書の定義では、「悪い欲への執着をなくせ。」とするべきです。そして、この悪い執着 が「妄執」なのです。どの欲の流れに流されるかは、その心の執着する癖によります。食欲に弱い人もいれば、名誉欲に弱い人もいるっていうのが、現実ですから、この辺りはわかりやすいと思います。
しかし 欲も執着も全てが悪いわけでもなく、
- 生存を支える生存欲(睡眠欲、食欲、色欲)
- 社会的にスムーズに生きていくための 財欲、名誉欲、承認欲
どれにも 程よく執着することが 生きるのには必要だと思います。言い換えると、欲というものは、この三次元の世界に既に設定されていて、それを追い求める執着もある程度は必要です。つまり 未熟な心と意が、道理を逸した執着【妄執】で求める欲【情欲】を退けることが大切で、人間にとって 欲への執着を離れた位置から制し統べながら生きる事が重要な努めなのだと考えています。
ちなみに、人間が恋い焦がれて追い求める「激流と一緒に流れている無常のもの」は、流れによって形作られたもので、実体のないもの、すなわち「色」(**)であると認識するべきであるというのが、般若心経の教えです。
(*)ver. 1 で当方は、「愛欲と情欲は同一とし、愛欲とは、他者からの愛情(愛欲)や人気を求める欲」としましたが、本書では全面撤回となりました。
(**)以前は「空」と書いてしまって間違えていました。詳しくは付録7を参照ください。